ヴェルマンドワ伯ユーグとは
ヴェルマンドワ伯ユーグ(1057年 – 1102年)は、フランス・カペー朝の王アンリ1世の三男として生まれた王族です。兄にあたるのが後のフランス王フィリップ1世であり、ユーグ自身はヴェルマンドワ伯の位を継ぎ、「偉大なるユーグ(ユーグ・ル・グラン)」の異名でも知られました。
クレルモンでの誓いと出陣
1095年、教皇ウルバヌス2世が聖地奪還を呼びかけたクレルモン教会会議において、ユーグはいち早く十字架を受け取ることを誓いました。翌1096年9月末、彼はノルマンディー公ロベール・クルートーズ率いる第二陣の一員として、イル・ド・フランスから東方へ向け出発します。
デュラッツォ上陸と捕虜生活
南イタリア・プッリアのノルマン人のもとで足止めされることを好まなかったユーグは、自ら船団を率いて先へ進み、ビザンツ帝国領の港デュラッツォ(現在のアルバニア・ドゥラス)に上陸しました。しかしそこで身柄を拘束され、ゴドフロワ・ド・ブイヨンの到着までの間、トラキアのフィリッポポリス(現在のブルガリア・プロヴディフ)で囚人としての日々を送ることになります。
第一次十字軍での活躍
解放された後、ユーグは十字軍の主力部隊とともに小アジアへ進軍しました。1097年のドリュライウムの戦いでは武勇を示し、ニカイア攻囲戦およびアンティオキア攻囲戦においても際立った功績を挙げています。
帰国への非難と最期
しかし1099年、ユーグは同志たちを残したまま単独でフランスへ帰国してしまいます。この行動は「臆病」と強く非難され、名誉を回復すべく翌1100年に再び聖地へ渡りました。ところが小アジアにてトルコ軍の攻撃を受けて部隊は壊滅し、ニカイア近郊で負傷したユーグは、キリキアのタルソスで45年の生涯を閉じたのです。