歴史上の人物

ウィンストン・チャーチル(1874〜1965)— 20世紀イギリスを導いた政治家・作家の生涯

ウィンストン・チャーチル(1874〜1965)— 20世紀イギリスを導いた政治家・作家の生涯

ウィンストン・チャーチルとは

ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill、1874年〜1965年)は、20世紀イギリスを代表する政治家・指導者・作家であり、第二次世界大戦中に首相として国家の命運を担った人物です。貴族の家系に生まれ、父はランドルフ・チャーチル卿でした。サンドハースト陸軍士官学校を卒業後、1895年から騎兵将校として勤務する一方、従軍記者的な立場からイギリス軍の戦況を新聞記事や書籍で伝えました。任地はインド、スーダン、南アフリカなど多岐にわたります。

捕虜脱走で名声を得る

1899年のボーア戦争では敵の捕虜となりますが、大胆な脱走劇を成功させ、この逸話によって国内で大きな人気を獲得しました。翌1900年には政界へ進出し、庶民院議員として頭角を現します。その後、内務大臣や通商大臣など複数の閣僚職を歴任しました。

ダーダネルス作戦の失敗と復帰

1911年から1915年には第一海軍大臣を務めますが、第一次世界大戦中のダーダネルス上陸作戦の決断に関与し、作戦が壊滅的な失敗に終わると広範な批判を浴びました。しかしそれほど間を置かずに政府へ復帰し、軍需大臣や植民地大臣などを務めています。その後、1924年から1929年には大蔵大臣を最後に一時政界の第一線を退きました。在任中のポンド金本位制復帰などの政策は、広範なストライキを引き起こす結果となっています。

「荒野の時代」とヒトラーへの警告

1929年以降は文筆活動に専念する時期が続きました。表舞台の中心人物ではなくなったものの、台頭しつつあったアドルフ・ヒトラーの脅威に対する鋭い警告や、西側諸国の宥和政策への批判を発信し続け、注目を集めました。

戦時首相としての指導

第二次世界大戦が勃発すると、チャーチルは再び第一海軍大臣に任命されます。そして1940年5月、ドイツがフランスへ侵攻したその日に連立内閣の首相に就任しました。終戦まで首相の座にとどまり、同時に国防大臣を兼任して戦争全体を指揮しました。また、反ヒトラー連合の首脳による「ビッグスリー(三巨頭)」の会談であるヤルタ会談やポツダム会談にも参加しています。

「鉄のカーテン」という言葉

チャーチルは、ヨーロッパを東西両陣営に分かつ境界線を意味する「鉄のカーテン」という言葉を広く普及させた人物でもあります。この言葉を初めて用いたのは、1945年5月12日の朝にアメリカ合衆国の新大統領ハリー・トルーマン宛てに送った電報だったとされています。

戦後の再起と晩年

第二次世界大戦終結後の1945年7月、総選挙で保守党が敗北したため首相の座を退きます。しかし1951年から1955年にかけて再び首相に返り咲きました。1953年にはノーベル文学賞を受賞し、政治家としてのみならず文筆家としての才能も高く評価されました。1965年1月24日、ロンドンにて脳卒中のため90歳でこの世を去りました。