フランク王カルロマンの生涯
カルロマン(Carloman、751年 - 771年)は、768年から771年までフランク王国を統治した王です。小ピピン(ピピン3世)とその妻ベルトラーダの次男として生まれ、後のカール大帝となる兄カールと共に育ちました。
王位の継承と即位
754年、カルロマンは兄カールとともに、父ピピンと同じくローマ教皇ステファヌス2世による塗油の儀式を受けました。これは、カロリング朝の王権に神聖な権威を与える重要な出来事でした。
768年10月9日、父ピピンの死後、カルロマンはソワソンで王位の標章を受け取り、正式にフランク王となりました。フランクの慣例に従い、王国は二人の兄弟の間で分割統治されることになりました。
兄カールとの対立
カルロマンと兄カールの関係は決して良好とは言えず、両者の間には緊張関係が続いていました。父ピピンはこの兄弟不和を懸念し、カールの領土がカルロマンの領土を取り囲む形となるよう、意図的に領土分割を行ったと伝えられています。
769年、アキテーヌで反乱が勃発すると、兄弟間の不和は一層表面化しました。反乱への対処にあたるカールは弟カルロマンに援軍を求めましたが、カルロマンはこれを拒否しました。この拒絶により、兄弟の対立はさらに深まることとなりました。
早世と王国の統一
しかし771年、カルロマンはわずか20歳の若さで急死しました。彼の死により、兄カールはフランク王国全体を単独で統治することとなりました。この予期せぬ出来事は、後のカール大帝による西ヨーロッパ統一と、中世ヨーロッパ史の大きな展開への道を開くこととなりました。