歴史上の人物

シャルル3世(879年 - 929年):「単純王」と呼ばれた西フランク王の波乱の生涯

シャルル3世(879年 - 929年):「単純王」と呼ばれた西フランク王の波乱の生涯シャルル3世(879年 - 929年)は、西フランク王国の国王です。父は「吃音王(ル・ベグ)」と称されるルイ2世、母はフリウーリのアデライードで、父の死後に生まれた遺腹の子でした。

「単純王」というあだ名の真意

シャルル3世は「単純王(ル・シンプル)」として広く知られていますが、この呼び名は決して「愚か者」という否定的な意味ではありません。むしろ「正直」「飾らない素朴な人柄」という、当時としては肯定的な評価を表すものでした。

王位を巡る苦難の道

兄たちが相次いで亡くなった際、シャルルはまだ幼く、即位できる年齢ではありませんでした。そのため、王位は皇帝カール3世(肥満王)によって奪われることになります。さらにカール3世が廃位されると、王国の貴族たちは新たな王としてパリ伯ウード1世を選出しました。

しかし、シャルルの支持者たちは諦めませんでした。893年1月28日、シャルルはランスにおいてフランス王として戴冠します。ただし、この時点では依然として実権を握ることができず、ウードの死後の898年に改めて戴冠し、ようやく実質的な統治を開始しました。

サン=クレール=シュル=エプト条約とノルマンディー公国の誕生

911年、シャルル3世はヴァイキングの首領ロロ(ロロン)との間にサン=クレール=シュル=エプト条約を締結しました。この条約により、ノルマンディー地方はノルマン人に与えられる公国となり、長年王国を脅かし続けたノルマン人の侵入問題はここに解決を見ます。この決断は、後のノルマンディー公国の発展につながる歴史的な転換点となりました。

封建勢力との対立と悲劇的な最期

一方で、シャルル3世は次第に力をつける封建貴族の諸家門に対しては無力でした。とりわけ強力だったのが、ブルゴーニュ公ラウルとフランス大公ロベールの動きです。923年、ソワソンの戦いでロベール1世に敗れたシャルルは王位を失い、ブルゴーニュ公ラウルが新たな王として擁立されます。

失脚したシャルルは、家臣であるヴェルマンドワ伯エルベール2世のもとへ身を寄せますが、そこで裏切られて捕らえられ、塔の中に幽閉されてしまいました。そして6年間に及ぶ幽閉生活の末、929年にこの世を去ったのです。

関連する君主

  • ウード(カペー家)― フランク王(893年 - 922年)
  • ロベール1世(カペー家)