チルデベルト4世(681年 – 711年)
チルデベルト4世は、メロヴィング朝フランク王国の国王です。681年ごろに生まれ、695年に兄クロヴィス4世の死を受けて王位に就き、711年に亡くなるまで在位しました。
出自と即位
父はネウストリアとブルグントを治めたテウデリク3世(ティエリー3世)です。兄クロヴィス4世が695年に早世すると、その後を継いで王となりました。ただし、この時代のメロヴィング朝の王は「無為王(ロワ・ファネアン)」と呼ばれるように、名目上の存在にすぎず、政治の実権は王家ではなく宮宰(マイヨール・ドムス)と呼ばれる高官の手に移っていました。
宮宰ピピン2世の後見のもとで
チルデベルト4世の治世を実際に動かしていたのは、アウストラシア出身の強力な宮宰ピピン2世(ヘルスタルのピピン)です。彼は687年のテルトリの戦いでネウストリア軍を破り、フランク王国全体に影響力を及ぼしていました。チルデベルト4世はこのピピン2世の後見・指導のもとで、ネウストリアとブルグントの両王国の統治を担いましたが、自ら積極的な政策を打ち出すことはほとんどなかったと伝えられています。
死とその後の継承
711年に死去すると、息子のダゴベルト3世が王位を継承しました。メロヴィング家の血統による王位継承はこの後もしばらく続きますが、実権はピピン家(後のカロリング家)が握り続け、8世紀半ばには最終的にカロリング朝への王朝交代へと進んでいくことになります。