歴史上の人物

クレメント5世(?~1314年)— 教皇庁をアヴィニョンへ移した中世の教皇

クレメント5世とは

クレメント5世(本名:ベルトラン・ド・ゴー、Bertrand de Got/de Goth、?~1314年)は、フランス出身の中世のローマ教皇です。教皇就任以前はボルドー大司教を務めており、1305年に教皇に選出されると「クレメント5世」を名乗りました。

リヨンでの戴冠

1305年、彼はリヨンのサン・ジュスト教会で教皇として戴冠しました。当時のローマは政治的に不安定であったため、戴冠式がイタリアではなくフランス国内で執り行われたことは、後の教皇庁の移転を予感させる出来事でした。

テンプル騎士団の弾圧

クレメント5世の歴史上最も有名な業績の一つが、フランス王フィリップ4世(フィリップ美男王、Philippe le Bel)と共に進めたテンプル騎士団の弾圧です。フィリップ4世の強い圧力のもと、騎士団は異端の罪に問われ、1312年のヴィエンヌ公会議を経て正式に解散させられました。1314年には最後の総長ジャック・ド・モレーが火刑に処されています。

騎士団の解体後、教皇はテンプル騎士団の膨大な財産を、エルサレムの聖ヨハネ病院騎士団(後のマルタ騎士団)へ移管する法令を出しました。

アヴィニョンへの教皇庁移転

1309年、クレメント5世は聖座(教皇庁)をローマから南仏アヴィニョンへ移しました。これにより始まったのが、約70年間続く「アヴィニョン捕囚(教皇のバビロン捕囚)」と呼ばれる時代です。この時期、教皇庁はフランス王の影響を強く受けることになり、中世カトリック教会の歴史における大きな転換点となりました。

晩年と死

クレメント5世は1314年に死去しました。興味深いことに、その死はテンプル騎士団最後の総長ジャック・ド・モレーの処刑からわずか1か月後のことであり、伝承ではモレーが火刑の場で両者に近い死を呪ったと語られています。