歴史上の人物

シャルロット・コルデー(1768年〜1793年):マラーを暗殺したフランス革命の女性

シャルロット・コルデー(1768年〜1793年):マラーを暗殺したフランス革命の女性

敬虔な王党派の家庭に生まれながらも共和主義者となり、カーンのジロンド派と親交を深めたシャルロット・コルデー。1793年7月13日、ジロンド派失脚の張本人と目されていたジャン=ポール・マラーを短剣で刺殺しました。裁判は短期間で結審し、同年7月17日にギロチン刑に処されましたが、彼女は最期の瞬間まで冷静さと大きな勇気を示したことで知られています。また、彼女は17世紀を代表する劇作家ピエール・コルネイユの直系の子孫でもあります。

敬虔な王党派の家に生まれて

マリー=アンヌ・シャルロット・ド・コルデー・ダルモンは、1768年にノルマンディ地方のサン=サトゥルナン=デ=リニュリで、小貴族の家系に生まれました。一族はカトリック信仰と王党派の伝統を重んじる家柄でしたが、修道院での教育を通じて読書に親しんだ彼女は、プルタルコスや啓蒙思想家たちの著作に触れるうちに、次第に共和主義的な思想へと傾いていきました。

劇作家コルネイユの血を引く女性

シャルロットは、『ル・シッド』などで名高い劇作家ピエール・コルネイユの直系の子孫です。この由緒ある血筋は彼女の誇りであり、その悲劇的な最期と相まって、後世の人々の想像力を強く捉えてやみませんでした。

ジロンド派への共感

革命が激化するなか、シャルロットはノルマンディの中心都市カーンに滞在し、同地へ逃れてきたジロンド派の人々と交流を深めました。当時、国民公会を支配する急進派(山岳派)は穏健派のジロンド派を「反革命的」として弾圧しており、1793年夏には主要なジロンド派議員が各地へ逃亡を余儀なくされていました。シャルロットは、革命を分裂させている元凶として急進派の指導者マラーに強い憎悪を抱くようになります。

1793年7月13日――マラー暗殺事件

皮膚病に苦しみ、浴槽の中で執務を続けることが多かったマラーのもとへ、シャルロットは「カーンで陰謀を企てる者たちの情報を持っている」と偽って面会を求めました。面会を許された彼女は、7月13日の夕刻、浴槽に入っていたマラーを短剣で一突きにしました。マラーは即死し、この事件はパリに大きな衝撃を与えました。画家ジャック=ルイ・ダヴィッドの名作『マラーの死』は、まさにこの瞬間を描いたものです。

裁判と処刑――最期まで貫いた毅然の態度

現場で逮捕されたシャルロットの裁判は、革命裁判所によってわずか数日で結審しました。法廷では、彼女は単独犯であることを明言し、動揺を見せることなく自らの行為を語りました。1793年7月17日、25歳の若さでギロチン台に上った彼女は、処刑の直前まで冷静さと毅然とした態度を崩さなかったと伝えられています。その姿は敵味方を問わず多くの人々の心を打ち、シャルロット・コルデーはフランス革命史において最も記憶される女性の一人となったのです。