歴史上の人物

ダゴベルト1世(604年〜639年)|フランク王国を再統一したメロヴィング朝の名君

ダゴベルト1世(604年〜639年)|フランク王国を再統一したメロヴィング朝の名君

ダゴベルト1世(604年頃〜639年)は、フランク王国メロヴィング朝の王です。父クロタール2世の死後、アウストラシア・ネウストリア・ブルグントの全域を掌握して王国を再統一し、内乱のない平和と秩序をもたらした、メロヴィング朝でも指折りの名君として記憶されています。

幼少期――二人の摂政のもとで

ダゴベルトはクロタール2世の子として生まれ、10歳のときにランデンのピピンとメスのアルヌルフという二人の有力貴族の後見・摂政のもとに置かれました。622年(一説には623年)には父によってアウストラシアの王位につけられますが、実権はこの二人が握っていました。彼らは後にカロリング朝へと発展する貴族家門の祖であり、フランク史全体に大きな影響を残す存在です。

フランク王国の再統一

629年に父クロタール2世が死去すると、ダゴベルトはアウストラシア、ネウストリア、ブルグントを相続して全土の支配権を確立し、拠点をパリ周辺に移しました。弟のカリベルト2世にはアキテーヌ地方の統治を委ねています。

ところが632年にカリベルトが死去すると、ダゴベルトはその幼い息子を暗殺させ、名実ともにフランク人の唯一の王となりました。同じ頃、南西部で反旗を翻していたガスコン人(バスク系諸族)の反乱も鎮圧し、王国の安定を盤石なものにしています。

内政と名臣たち

ダゴベルトは聡明で洗練された君主でした。その治世は対外戦争よりも内政の充実に特徴があり、国内は平和と秩序に包まれています。彼はルーアン司教の聖ウアンや、金細工師出身の司教である聖エリギウス(聖エロワ)といった有能かつ高潔な人物を側近に登用し、行政・司法の整備や教会との協調を進めました。こうした姿から、後世のフランスでは民謡『良き王ダゴベルト』に歌われるなど、親しみを込めて語り継がれています。

死去とサン=ドニへの埋葬

639年1月、ダゴベルトは赤痢のためこの世を去りました。遺体はパリ近郊のサン=ドニ修道院(現在のサン=ドニ大聖堂)に埋葬されます。ここはその後、歴代フランス国王の墓所として栄えることになり、ダゴベルトはその先駆けとなったのです。

婚姻と後継者たち

ダゴベルトは生涯に数人の妻を娶りました。死後、王国は分割され、ネウストリアとブルグントはクロヴィス2世が、アウストラシアはシギベルト3世がそれぞれ継承します。しかし二人とも幼少であったため、実権はまもなく宮宰(マヨル・ドムス)と呼ばれる貴族の手に移り、メロヴィング朝は緩やかな衰退への道をたどっていくことになりました。