
デュムーリエとは何者か
シャルル=フランソワ・デュ・ペリエ・デュムーリエ(Charles-François du Périer Dumouriez、1739年〜1823年)は、フランス王国とフランス革命政府の両方に仕えた軍人・外交官です。18歳で軍隊に入り、その後はルイ15世のもとで外交官としてヨーロッパ各国の宮廷を渡り歩きました。しかし、その経歴は決して平坦なものではなく、一時期はバスティーユ牢獄に投獄され、ルイ16世の即位まで釈放されなかったこともあります。
外務大臣として戦争を主導
1792年、デュムーリエはルイ16世の外務大臣に任命されます。彼はオーストリアに対する宣戦布告を強く推し進め、これがフランス革命戦争の発端となりました。この決断は、革命フランスの運命を大きく左右することになります。
ヴァルミーとジェマップの英雄
将軍として前線に立ったデュムーリエは、1792年9月のヴァルミーの戦いでプロイセン軍を退け、続く11月のジェマップの戦いではオーストリア軍に圧勝しました。これらの勝利により彼はベルギー(当時のオーストリア領ネーデルラント)を占領し、ジロンド派から熱狂的な支持を受ける国民的英雄となりました。ヴァルミーの砲撃は、革命軍が外国の正規軍を破った最初の戦いとして、今日でもフランス史における転換点として語られています。
国民公会との対立と失脚
しかしその後、デュムーリエは権力を握る国民公会に公然と反対の姿勢を示します。1793年のネールウィンデンの戦いで敗北すると、指揮官の地位を剥奪されることになりました。追い詰められた彼は、かつて戦った相手であるオーストリア側との取引に手を染めますが、計画は失敗に終わりました。
亡命生活と晩年
失脚後、デュムーリエはヨーロッパ各地を放浪し、1800年にイギリスへ渡りました。そこで彼はウェリントン公のスペイン遠征における顧問として再び歴史の表舞台に関わることになります。しかし、ナポレオン失脚後にブルボン朝が復古しても、王政への裏切り行為が理由で帰国を拒否されました。結局、彼は二度とフランスの土を踏むことなく、1823年に忘れ去られたままイングランドでこの世を去ったのです。
まとめ:革命の英雄から裏切り者へ
デュムーリエの生涯は、革命期フランスの激動を象徴する物語です。王国に仕え、革命を勝利に導き、やがて自らもその渦に飲み込まれて亡命へと向かった彼の足跡は、栄光と転落が紙一重で隣り合わせであった時代の縮図といえるでしょう。