歴史上の人物

マリアマ・バー――著作と活動で女性の権利を訴えたセネガルの作家

セネガル出身の作家マリアマ・バー(Mariama Bâ、1929年~1981年)は、代表作『長い手紙』および『緋色の歌』において、女性の権利と地位を力強く訴えました。また、教育や女性の権利のために活動する諸団体にも積極的に関わり、アフリカにおけるフェミニズムの先駆者として知られています。

優秀な学生だった少女時代

マリアマ・バーは1929年4月17日、セネガルのダカールで裕福なムスリム(イスラム教徒)の家庭に生まれました。祖父はフランス植民地政権の通訳を務め、父は公務員でした。母親が亡くなった後、マリアマは主に母方の祖父母に育てられますが、彼らは女の子の育て方についてきわめて伝統的な考えを持っていました。

少女はコーラン学校とフランス系学校の両方に通い、優れた成績で頭角を現します。14歳で初等教育修了証を取得した彼女は、さらなる進学を望みました。しかし祖父母は「女の子に学問は必要ない」と考えていました。父親の介入によってようやく、教員養成機関であるルフィスク師範学校への入学が実現し、彼女は輝かしい成績で学業を修めて1947年に卒業しました。

活動の原点

マリアマ・バーは12年間教壇に立ち、その後、地域教育視学局の視学官に転任しました。キャリアの傍らで三度の結婚を経験しており、バシル・ンジャイとの間に3人の娘、アブラエ・ンジャイとの間に1人の娘、そして国会議員兼大臣だったオベイ・ディオプとの間に5人の子どもをもうけましたが、最終的にディオプとは離婚しています。

少女時代に教育を受けることの困難さを味わった経験、直面した不平等、そして結婚生活での体験は、彼女を女性の権利というテーマへと向かわせました。フェミニズム系の団体に参加した彼女は、公の場での演説や記事の執筆を通じて女性の地位擁護を訴え、女子教育の推進と男女関係における対等な力関係を提唱していきました。

『長い手紙』

1979年、マリアマ・バーは処女小説『長い手紙(Une si longue lettre)』をヌーヴェル・アフリケーヌ出版社から刊行しました。書簡体小説である本作では、夫を亡くしたばかりのラマトゥライが、親友のアイサトゥに宛てて手紙を書きます。彼女は女性として、妻として、母としての自らの境遇を語り、夫に第二夫人を押しつけられた末に夫のもとを去るという親友の選択にも触れます。いずれも作家自身が大切にしてきたテーマでした。

これらの人生の経験を通じて、マリアマは社会的・宗教的な伝統に鋭いメスを入れ、それらが女性の地位に及ぼす影響を浮き彫りにします。同時に、アフリカ社会における女性の貢献を高く評価し、不平等からの解放を求める女性たちの願いを描き出しました。『長い手紙』は刊行直後から読者と批評家双方の絶賛を受け、翌年にはフランクフルト・ブックフェアでノーマ賞を受賞しています。

『緋色の歌』

『長い手紙』の成功を受けて、マリアマ・バーは2作目となる小説『緋色の歌(Un chant écarlate)』を執筆しました。本作は、セネガル人男性ウスマヌとフランス人女性ミレイユの恋愛物語であり、文化的な違いと女性の地位ゆえに二人が直面する困難を描いています。ミレイユはセネガルの伝統になじむことができず、特に夫が第二夫人を娶った際には、その重圧に耐えることができません。作品は伝統の専制と重み、そして異なる文化を持つ人々の関係の難しさを痛烈に批判しています。

マリアマ・バーは1981年8月17日、52歳でがんによりこの世を去りました。その死は『緋色の歌』の刊行に先立つものでした。彼女の記事や演説は、『書かれたアフリカ文学の政治的機能(The Political Function of Written African Literature)』として一冊の本にまとめられています。

マリアマ・バーは今なお、世界中のフェミニストたち、とりわけアフリカの女性たちにとって、尽きることのないインスピレーションの源であり続けています。