
ゴッドフリー・ド・ブイヨン(1061年頃〜1100年)は、下ロレーヌ公およびロティエ公の称号を持つフランク人の貴族であり、第一回十字軍の最も重要な指導者の一人です。エルサレム征服後には王号を辞退し、「聖墓の守護者」として新生エルサレム国家の統治者となりました。
十字軍への参加を決意
1095年、教皇ウルバヌス2世による十字軍の呼びかけに応じ、ゴッドフリーは聖地奪還のための遠征への参加を決意しました。
東方への出発とコンスタンティノープル到着
1096年8月、ゴッドフリーは兄ウスタッシュ3世、弟ボードゥアン(後のエルサレム王ボードゥアン1世)とともに、ムーズ川(マース川)およびライン川流域から集められた約1万人の十字軍を率いて出発しました。同年12月にはコンスタンティノープルに到着し、東ローマ皇帝アレクシオス1世コムネノスに対して臣従の誓いを立てています。
エルサレム征服と「聖墓の守護者」への就任
1099年7月15日、十字軍はエルサレムを攻略することに成功しました。その直後の7月22日、ゴッドフリーは新国家の君主に選出されます。しかし彼は「キリストが荊冠を戴かれた都で、自らが黄金の冠を着けることはできない」として王号を辞退し、「聖墓の守護者(アドヴォカトゥス・サンクティ・スプルクリ)」という謙虚な称号のみを受け入れました。
アスカロンの戦いとラテン諸国家の組織化
1099年8月、ゴッドフリーはアスカロンにおいてファーティマ朝エジプトの大軍を撃破し、エルサレムの防衛と王国の基盤強化に大きく貢献しました。さらに、エデッサ伯国やアンティオキア公国といった東地中海におけるラテン諸国家の組織化にも積極的に関与しています。
1100年7月18日、ゴッドフリーはエルサレムにて病のため死去しました。その後を継いだ弟ボードゥアンが初代エルサレム王として即位し、十字軍国家の歴史が本格的に幕を開けることとなります。