
ユーグ・カペー(Hugues Capet、941年頃 – 996年)は、パリ伯にしてフランク公であった「大ユーグ」(ユーグ・ル・グラン)の息子として生まれました。ロベール家の当主として、当時の西フランク王国政治において大きな影響力を握っていました。
987年、王への選出
987年、カロリング朝最後の国王であるルイ5世が死去すると、ユーグはランス大司教アダルベロンの支持を得て、貴族たちによって新たな王に選ばれました。ここに、カロリング朝に代わる新王朝の歴史が始まります。
ロレーヌ公シャルルとの対立
しかし即位後も、ユーグの地位は決して安泰ではありませんでした。カロリング家の血を引くロレーヌ公シャルルが王位継承権を主張し、ユーグはこのライバルとの対立を余儀なくされます。シャルルは991年に捕らえられるまで、ユーグの王権にとって脅威であり続けました。
息子ロベール2世との共同統治
王朝の安定を確保するため、ユーグは早い段階で息子のロベール2世(敬虔王)を共同王として戴冠させました。これは王位継承を確実なものとし、選挙による王位決定がもたらす不安定さを回避するための賢明な政策でした。
限られた王権とその死
とはいえ、ユーグ・カペーの実権は、王国の他の有力諸侯と比べれば依然として小さなものでした。彼が直接支配できたのは、パリ周辺のごく限られた領域にとどまっていました。996年、ユーグはこの世を去りますが、彼が打ち立てたカペー朝はその後、フランスに32人の国王を輩出する長く栄えた王朝へと発展していきました。
王位の継承
ルイ5世(怠惰王)→ ユーグ・カペー(フランク王、在位987年 – 996年)→ ロベール2世(敬虔王)