歴史上の人物

アランソン公ジャン・ド・ヴァロワ(1409年~1476年):ジャンヌ・ダルクが信頼した「美しき公爵」の栄光と転落

アランソン公ジャン・ド・ヴァロワ(1409年~1476年):ジャンヌ・ダルクが信頼した「美しき公爵」の栄光と転落

アランソン公ジャン・ド・ヴァロワ(Jean de Valois、1409年 - 1476年)は、百年戦争期フランスを代表する貴族の一人です。父はアジャンクールの戦い(1415年)で戦死した先代アランソン公ジャン1世「賢公」。さらにヴァロワ朝初代王フィリップ6世の父であるシャルル・ド・ヴァロワの直系の子孫にあたり、王家に最も近い血筋を持つ名門の出身でした。

王軍を指揮する中将へ

1428年、王国元帥アルテュール・ド・リッシュモンが失脚すると、ジャンは「国王に最も近い血縁者」という立場を根拠に、王軍を指揮する中将(lieutenant général)に任じられました。これにより彼は、イングランド軍に対抗するフランス軍の最高指導者の一人となったのです。

ジャンヌ・ダルクとの絆

ジャンはジャンヌ・ダルクから「優しく美しき公爵(gentil duc)」と呼ばれ、深い信頼で結ばれていました。彼はオルレアン救援遠征の準備を主導し、1429年のパテーの戦いではフランス軍を指揮して勝利を収めます。さらに同年のランスでの戴冠式では、式当日の朝にシャルル7世へ騎士叙任を授けるという、アランソン家に伝わる特権的な名誉を果たしました。

栄光の陰りと幽閉の最期

ところが、その後の経歴は必ずしも栄光に満ちたものではありませんでした。ジャンはイングランドと、さらにはブルゴーニュ公シャルル(豪胆公)率いるブルゴーニュ派とも通謀した罪に問われ、二度にわたって死刑判決を受けます。しかしいずれの場合も赦免によって命拾いしました。とはいえ自由を完全に取り戻すことは叶わず、晩年はパリのルーヴルに幽閉されたまま1476年にこの世を去ったのです。