ジャンヌ・ダルブレ(1528年–1572年):ナバラ女王にしてユグノー派の指導者

ジャンヌ・ダルブレは、フランス王フランソワ1世の姪として宮廷で育てられた女性です。やがてナバラ女王として即位し、プロテスタント(ユグノー派)への改宗を機に宗教戦争期フランスの中心人物の一人となりました。そして何より、後のフランス王アンリ4世の母として歴史に名を刻んでいます。
フランス王室で育まれた少女時代
ジャンヌは1528年11月16日、サン=ジェルマン=アン=レイで生まれました。母はフランソワ1世の姉であるマルグリット・ダングレーム、父はナバラ王アンリ2世です。フランソワ1世の姪にあたる彼女は、幼少期をフランス王室のもとで過ごし、高度な教育を受けながら成長しました。
結婚とナバラ王位の継承
20歳のとき、ジャンヌはブルボン家の当主で、フランス王家に次ぐ血統を持つ「第一血統親王」アントワーヌ・ド・ブルボンと結婚します。1553年に生まれた息子こそ、のちのアンリ4世です。1555年に父が亡くなると、彼女はナバラ女王として王位を継承し、夫とともに王国の統治にあたりました。
プロテスタントへの改宗
転機が訪れたのは1560年です。著名な神学者テオドール・ド・ベーズの影響を受け、ジャンヌはカルヴァン派(ユグノー派)へ改宗しました。カトリック信仰を貫き続けた夫アントワーヌとの間には深い亀裂が入り、夫婦は事実上の決別を迎えます。しかしジャンヌは退くことなく、以後、自らの領域における宗教改革の実施を強力に推進していくのです。
ユグノー派の指導者として
1568年、ジャンヌはプロテスタント陣営の指導者的存在となり、15歳になったばかりの息子アンリを連れて、ユグノー派の拠点ラ・ロシェルへと向かいました。彼女はそこでユグノー派を率い、政治的・軍事的な両面で陣営を支える柱となったのです。
悲願の縁組と突然の死
度重なる交渉の末、ジャンヌは念願であった息子アンリと、ヴァロワ家の王女マルグリット(のちの「マルゴー王妃」)との結婚を実現させます。しかし、婚礼を目前に控えた1572年6月9日、彼女はパリで結核のためこの世を去りました。44歳でした。
二人の結婚式は同年8月18日に執り行われましたが、その祝賀のさなかに「サン・バルテルミーの虐殺」が勃発します。カトリックとプロテスタントの和解を象徴するはずだったこの縁組みを、ジャンヌ自身は見届けることなく逝きました。それでも彼女が築いた基盤は、やがて息子アンリ4世がフランス王として即位する道を開くことになります。