
スタール夫人(ジェルメーヌ・ド・スタール、1766年~1817年)は、18世紀末から19世紀初頭のフランスを代表する女性文人です。著名な銀行家ジャック・ネッケルの娘として生まれ、在パリのスウェーデン公使エリック・マグヌス・スタールと結婚したことから「スタール夫人」と呼ばれるようになりました。
名門ネッケル家に生まれて
父ジャック・ネッケルは、ルイ16世のもとで財務長官を務めたことで知られる金融家でした。裕福で知的な環境の中で育った夫人は、幼少の頃から類まれな才華を示し、両親が開いていたサロンに早くから加わりました。やがて彼女自身が主宰するサロンは、革命前夜から帝政期にかけてパリ屈指の文化の拠点となり、政治家、思想家、文学者たちが集う社交界の中心となります。
革命への支持から批判へ
当初、スタール夫人は自由主義的な立場からフランス革命に好意的でした。しかし王政の崩壊後に革命が過激化していく様子を目の当たりにすると、次第にそれを批判するようになります。混乱の激化を受けて、彼女は父とともにスイスへ退避しました。
スイスでの日々とコンスタンとの出会い
スイスのコペーにある父の居城には、多くの亡命者や知識人が集まりました。この時期に出会ったのが、作家にして政治家のベンジャマン・コンスタンです。二人は恋仲となり、互いに刺激を与え合う知的な伴侶として、以後それぞれの思想と文学に深い影響を及ぼし合いました。
総裁政府の疑念とナポレオンとの対立
パリに戻った夫人は、総裁政府から警戒の目を向けられることになります。さらに第一執政となったナポレオン・ボナパルトが、彼女とコンスタンに対して明確な敵意を示すようになると、夫人はついに亡命を余儀なくされました。サロンの持つ影響力を恐れたナポレオンは、彼女を首都から遠ざけ、最終的にコペーでの隠棲を強制します。それでも夫人は自由と独立の精神を曲げず、権力に対して毅然とした態度を貫きました。
『デルフィーユ』『コリンナ』など豊かな著作
こうした苦難の時代にこそ、夫人は数々の傑作を書き上げました。小説『デルフィーユ』(1802年)や『コリンナ、またはイタリア』(1807年)では、離婚や女性の自立といった当時としては極めて革新的なテーマが描かれ、大きな反響を呼びました。また、評論『ドイツ論』はドイツ・ロマン主義をフランスに紹介した先駆的な仕事として、今日でも高く評価されています。
なお一説によれば、夫人がナポレオンに想いを寄せたこともあったといわれますが、皇帝の側は終始冷淡だったと伝えられています。1817年、50歳でこの世を去るまで、スタール夫人はヨーロッパ知識人の良心として広く敬愛され続けました。