
政治的結婚とフランス王妃への道
ブルゴーニュ公フィリップ2世(豪胆公)は、神聖ローマ帝国(ドイツ)との同盟関係を強化することを目論み、甥にあたるフランス王シャルル6世のもとへ、バイエルン公の娘イザボーを嫁がせました。この政略結婚こそが、彼女を激動のフランス史の中心へと引き込むことになったのです。
国王の発狂と摂政への就任
1392年、シャルル6世に精神の異常が突如として現れると、イザボーは王国の摂政として国政を担う立場に就きました。しかしその一方で、彼女はアルマニャック派とブルゴーニュ派という二大勢力の間で繰り広げられる争いや陰謀の渦中に身を置くことになります。
サド侯爵が描いた「悪女」像
サド侯爵は著書『イザボー・ド・バヴィエール秘史』の中で、彼女を悪徳の権化として描きました。この強烈な人物像は後世に広く受け入れられ、イザボーに対する歴史的評価を決定づけることとなりました。
カボシュ党の乱とトゥールへの追放
たちまち民衆の支持を失ったイザボーは、1413年のカボシュ党の乱において特に激しい攻撃の標的となりました。その後、アルマニャック派の手によってトゥールへと追放・幽閉されることになります。
ブルゴーニュ派との結託とトロワ条約
追放されたイザボーは、彼女を救出したブルゴーニュ公ジャン無怖公(ジャン・サン・プール)と親密な関係を築きます。1417年末にはトロワにおいて、ブルゴーニュ派が完全に掌握する政府を組織しました。そして1420年、ついに息子である王太子シャルルを廃嫡し、イングランド王にフランス王位の継承権を譲るという破滅的なトロワ条約が締結されたのです。