歴史上の人物

ジャン=ヴィクトル・モロー(1763 - 1813)| ホーエンリンデンの英雄、ナポレオンと対立した名将

ジャン=ヴィクトル・モロー(1763 - 1813)| ホーエンリンデンの英雄、ナポレオンと対立した名将

革命軍の志願兵から総司令官へ

ジャン=ヴィクトル・モロー(Jean-Victor Moreau、1763年 - 1813年)は、フランス革命戦争からナポレオン戦争の時代にかけて活躍したフランスの将軍です。フランス革命が勃発すると国民衛兵の志願兵として軍歴をスタートさせ、ピシュグリュー将軍の指揮下でオランダ遠征に参加しました。
その後、北方軍団(アルミー・デュ・ノール)の総司令官に就任し、革命軍を代表する指揮官の一人となっていきます。

ブリュメール18日とホーエンリンデンの大勝利

1799年11月9日(共和暦ブリュメール18日)のクーデターではナポレオン・ボナパルトを支援し、その信頼を得てライン軍団の指揮を委ねられました。
そして1800年12月3日、バイエルンのホーエンリンデンの戦いにおいてオーストリア軍を撃破し、輝かしい大勝利を収めます。この勝利は翌年のリュネヴィル条約締結への道を開くものであり、モローの名声をヨーロッパ中に轟かせることとなりました。

亡命と悲劇的な最期

しかし栄光の頂点にあったモローは、王党派の陰謀への関与を疑われ、フランスを追われる形でアメリカ合衆国へ亡命します。
その後、彼はヨーロッパ諸国による対仏大同盟の側に立ち、とりわけロシア皇帝アレクサンドル1世に仕えてナポレオンに対する軍事的助言を行いました。
1813年、ドイツ・ドレスデンの戦いにおいて、モローはかつて自らが率いたフランス軍の砲弾を受け、致命傷を負います。ナポレオンの宿将として名を馳せた男が、祖国の敵として戦場に倒れるという皮肉な最期は、多くの人々の胸を打ちました。