
ルイ・アントワーヌ・レオン・ド・サン=ジュスト(1767年 - 1794年)は、フランス革命期を代表する政治家の一人です。軍務における功績によりサン・ルイ勲章騎士に叙せられ、1789年には国民衛兵の中佐に就任しました。さらに1790年には、パリで開催された連盟祭(Fête de la Fédération)にも参加しています。
国民公会での台頭
国民公会議員となったサン=ジュストは、方法論的かつ精緻な思考力を備えた雄弁家として頭角を現し、その行動は徹底的に妥協を許さないものでした。やがて彼は、単一かつ平等な共和国という理念の理論家であり、その擁護者としての地位を確立していきます。
公安委員会と恐怖政治
ロベスピエールの忠実な支持者であったサン=ジュストは、公安委員会の中で極めて重要な役割を担いました。ジロンド派、ダントン派、そしてエベール派との闘争においては、テロル(恐怖政治)の行使を積極的に主張したことで知られています。
軍への派遣任務では、とりわけ1794年のフルーリュスの戦いにおける勝利に大きく貢献しました。また同年3月には、富裕な容疑者に代わって貧しい愛国者を優遇する内容のヴァントーズ法令の成立を実現させています。
その最期
1794年7月27日(革命暦・熱月9日)のクーデターによって権力の座から転落すると、サン=ジュストは翌28日、ロベスピエールらとともにギロチンにて処刑されました。最期まで抵抗を見せることなく、わずか27歳の短い生涯を閉じたのです。