ジュール・フェリーとは
ジュール・フェリー(Jules Ferry、1832年〜1893年)は、フランスのジャーナリスト、政治家です。政界に入る前はジャーナリストとして活動し、第二帝政に反対する一連のパンフレットを執筆して名を上げました。
1869年に共和派の国会議員に当選すると、1870年9月4日にはパリ市庁舎で行われた第三共和政樹立の宣言に参加します。以降、順風満帆とは言えないものの、実り多き政治キャリアを歩むこととなりました。
主な経歴
- 国防政府のメンバー(1870年)
- プロイセンとの戦争中のパリ市長(1870年)
- ヴォージュ県選出代議士(1871年〜1889年)
- 公共教育・美術大臣(1879年〜1883年)
- 首相(閣僚評議会議長)(1880年〜1881年、1883年〜1885年)
- 外務大臣(1883年〜1885年)
- 元老院議員(1891年)、1893年に元老院議長に就任
共和主義教育の確立
フェリーの名を最も有名にしているのが、義務制・無償・世俗を原則とする共和主義学校制度(いわゆるフェリー法)の創設です。この改革により、すべての子どもが宗教や身分に関係なく教育を受けられる基盤が整えられ、近代フランスの公教育の礎が築かれました。
積極的な植民地政策
一方で、フェリーは拡張主義的な植民地政策の推進者としても知られています。
- チュニジア保護領の設置
- コンゴにおけるブラザの探検と勢力拡大
- マダガスカルのタマタベ占領
- トンキン(ベトナム北部)の征服
なかでもトンキン遠征をめぐる論争は国内で強い反発を招き、彼の政治生命を脅かす大きな要因となりました。
その他の功績
教育や外交以外にも、フェリーは出版の自由・集会の自由・労働組合の自由の確立に貢献し、地方行政制度の再編にも尽力しました。これらの改革は、第三共和政の民主的な枠組みを固める上で重要な役割を果たしています。
後世の評価
当時のフェリーは世論から激しい批判を受けていましたが、その主要な業績はフランスの歴史において計り知れないものであり、現在のフランスは彼の功績に敬意を払っています。
生没年:1832年〜1893年
職業:ジャーナリスト、政治家