マクシミリアン・ロベスピエール(1758年〜1794年)
マクシミリアン・ロベスピエール(Maximilien Robespierre、1758年〜1794年)は、フランス革命期における最も重要かつ物議を醸した政治家の一人です。弁護士出身の彼は、「不可侵の人(L'Incorruptible)」という異名で知られ、恐怖政治の時代を主導した人物として歴史に名を刻んでいます。
革命前夜:弁護士から議員へ
1758年にアラス(Arras)に生まれたロベスピエールは、1781年に弁護士となり、翌1782年には同地で裁判官に就任しました。1789年には第三身分の代表として選出され、陳情書(不満申告書)の起草にも参加します。こうして同年開幕した三部会(後の国民議会)に出席し、革命の中心人物としての歩みを始めたのです。
ジャコバン派の指導者へ
1791年にはジャコバン倶楽部の主要な指導者となり、出版と表現の自由を擁護するとともに、国王の拒否権を批判するなど、急進的な立場を鮮明にしていきました。
「不可侵の人」と革命政府の指導者
「不可侵の人」と呼ばれた彼は、パリ蜂起コミューンのメンバー、国民公会における山岳派(Montagnards)議員を経て、公安委員会(革命政府の中核)の指導者の座に就きます。徹底した民主主義を掲げるその路線は次第に硬化し、ついには国王の失脚すら提唱するに至りました。そして国王裁判では、ルイ16世の死刑に賛成票を投じたのです。
恐怖政治と美徳による民主主義
1793年、ロベスピエールは自らの理想とする「美徳に基づく民主主義」を実現するため、恐怖政治体制の確立を図りました。当時の危機的状況に対しては、革命政府こそが最も適切な対応であると考えた彼のもとで、ジロンド派や寛容派(Indulgents)など、対立する勢力が次々と処刑されていきました。また、非キリスト教化運動に対抗するため、最高存在の祭儀の導入にも賛成しています。
テルミドールの反動と最期
しかし、国民公会内での彼への敵意は日増しに強まり、ついにロベスピエールは法外者と宣言されます。1794年7月27日(革命暦テルミドール9日)に逮捕された彼は、翌28日に支持者たちとともにギロチンで処刑されました。彼の死は、まもなく恐怖政治の終焉へとつながっていきました。
基本情報
- 生没年:1758年〜1794年
- 地位:革命家
- 役職:パリ蜂起コミューン議員