ヴィヴィアン・マイヤー(Vivian Maier、1926年〜2009年)は、その優れた作品が死後に偶然発見されたアメリカのストリートフォトグラファーです。ナニーとして働きながら密かに撮り続けた約12万点の写真は、彼女の死によって世界に知られることになりました。
写真との出会い
ヴィヴィアンは1926年2月1日、ニューヨークに生まれました。母親はフランス人のマリア・ジョソー(Maria Jaussaud)、父親はオーストリアからの移民の子孫であるアメリカ人シャルル・マイヤー(Charles Maier)です。6歳年上の兄シャルル・ウィリアムがいました。ヴィヴィアンが3歳のときに両親は別居し、彼女は母親とともに暮らすことになり、兄は父方の祖父母のもとへ引き取られました。マリアとヴィヴィアンは、ブロンクスに住む写真家の友人ジャンヌ・ベルトラン(Jeanne Bertrand)の家に身を寄せます。ジャンヌは、母娘に写真というものを初めて紹介した人物でした。
1932年か33年頃、ジャンヌ、マリア、ヴィヴィアンの3人はフランスへ移住します。母マリアの故郷であるオート=アルプ県のサン=ジュリアン=アン=シャンプソール村にしばらく住み、その後すぐ近くのサン=ボネ=アン=シャンプソールへ移りました。ヴィヴィアンはここでフランス語を学び、同年代の子どもたちと遊びながら数年間の幼少期を過ごし、母親は滞在の様子を写真に収めていました。1938年、12歳になったヴィヴィアンは母親とともにニューヨークへ戻ります。その後10余年を経て、相続した不動産を売却するために再びフランスを訪れ、オート=アルプ県で親族を訪ねては、肩から下げた2台のカメラで数多くの写真を撮影しました。
秘密の仕事
1951年、ニューヨークに住んでいたヴィヴィアンは、ある家庭にナニー(住み込み子守)として雇われます。同じ頃、プロ用カメラを購入し、誰にも知られることなく情熱を捧げる日々が始まりました。1956年にはシカゴのナンシー&アヴロン・ゲンスバーグ夫妻の家で、引き続きベビーシッターとして働きます。空き時間にはカメラを手に街へ繰り出し、日常の情景や通行人たちを撮り留め、自室のバスルームを暗室代わりにしてネガを現形していました。内気で秘密主義者だった彼女は、自分の作品を人前に出すことも、写真について語ることもほとんどありませんでした。
1959年から1960年にかけて、彼女は世界一周の旅に出ます。タイ、イエメン、エジプト、カナダ、イタリアを訪れ、さらにフランスでは母の故郷であるシャンプソール地方も再訪しました。
ゲンスバーグ家の3人の子どもたちが成長すると、17年間仕えたこの家族と別れたヴィヴィアンは、他の家庭でもナニーとして働き続けます。それまで一貫してモノクロームで撮影していた彼女は、ついにカラー写真へと移行しました。しかし、ゲンスバーグ家のように暗室として使えるプライベートな空間はもうなく、現像はしなくなったものの、撮影は止めず、大量のネガと未現像フィルムを溜め込んでいきました。雇い主を変えるたびに、彼女は膨大な数の箱を引きずって引っ越したといいます。1987年、新しい雇い主となるカレン&ザルマン・ウシスキン夫妻に、彼女はこう告げています。「言っておかなければならないのですが、私は私の人生と一緒にやってくるの。私の人生は、あの箱の中にあるのです」。
事故、そして晩年
1989年から1993年にかけて、年齢を重ね始めたヴィヴィアンは、知的障害を持つ十代の少女キアラ・ベイルランダーの世話を担当しました。その後、高齢とともに経済的に苦しくなり、レンタル倉庫に保管していた無数の箱の保管料を払えなくなったため、カメラやネガ、フィルムなどの所持品は競売にかけられて売却されてしまいます。交流を保ち続けていたゲンスバーグ家は、彼女のためにロジャーズパークのアパートを用意しました。ところが2008年12月、路上の氷で滑って頭部を強打。ゲンスバーグ家の手配で老人ホームに入りましたが、2009年4月20日、82年の生涯を閉じました。
奇跡的な発見
その2年前の2007年、若手不動産業者のジョン・マルーフ(John Maloof)は、シカゴのある地区について執筆中の本の資料を探すため、競売で3万点のネガをまとめて落札しました。しかし求めていた写真は見つからず、彼はその箱をクローゼットにしまい込んだまま数ヶ月を過ごします。やがてこれらの画像のクオリティと、自分が発見した宝物の価値に気づいたマルーフは、大規模なデジタル化作業に着手し、同じ日に競売にかけられた残りのネガの買い戻しにも乗り出します。最終的に彼が入手したネガは10万点以上に及びました。
作者を突き止めようとしたマルーフが知ったのは、「匿名の老婦人の持ち物だった」という事実だけ。2009年になってようやく、箱の中から「Vivian Maier」の名が書かれた封筒を見つけます――そして、彼女がわずか数日前に亡くなっていたことを知るのでした。
マルーフは直ちに、ヴィヴィアンの足跡を辿る調査と作品の保護に乗り出します。関係者への取材を重ねて彼女の人生を再構築し、その人となりを探るとともに、公式サイトを開設してネガの分類・整理を進めました。2011年には著書『Vivian Maier: Street Photographer』を発表し、大きな反響を呼びます。
約12万点ものストリート写真をこっそりと撮り続けながら、現像できないまま自身も目にすることさえなかった作品の大部分を放置し、利益を得ようともしなかったナニーの物語は、世界中の人々の好奇心を刺激しました。豊穣かつ質の高いその作品群によって、ヴィヴィアン・マイヤーは偉大な写真家として認められるようになります。彼女の写真にはヒューマニズムが息づき、社会的弱者や貧しい人々、時代に取り残された人々への温かいまなざしが込められています。ポートレート、風景、静物、そして自画像まで、その作風は実に多岐にわたります。
彼女の作品は、ニューヨーク、ヒューストン、ロサンゼルス、アトランタ、シカゴ、スイスのフリブールなど各地のギャラリーで展示され、母親の故郷であるフランス・サン=ジュリアン=アン=シャンプソール村でも開催されました。