マルティン・ルター(Martin Luther、1483年〜1546年)は、ドイツ出身の神学者であり、16世紀の宗教改革の創始者として知られる人物です。
神学者への道
ルターは銅鉱山の経営者の息子として、ドイツ中部テューリンゲン地方のアイスレーベンに生まれました。1501年にエルフルト大学に入学して法学を学びますが、1505年に同地のアウグスティノ会修道院へ入ります。1507年に司祭に叙階され、1509年に修道士となった後、1512年には神学博士の学位を取得し、ウィッテンベルク大学で神学を講じるようになりました。
「95カ条の提題」と免罪符への抗議
ルターが歴史の表舞台に立つきっかけとなったのが、免罪符問題でした。当時のローマ教会は、サン・ピエトロ大聖堂の建設資金を集めるため、教皇の後押しのもと、信者が金銭を捧げれば罪の赦しが得られるという免罪符の販売を推進していました。これに憤慨したルターは、1517年10月、「95カ条の提題」を著してこの慣行を公に糾弾しました。この行動こそが、宗教改革の発端となったのです。
宗教改革の三本柱
改革運動の先導者となったルターは、1520年に一連の重要な改革文書を発表し、自らの思想を体系化しました。その根幹をなすのは、次の三つの理念です。
- 信仰義認(信仰のみによる救い):キリスト教徒は善行ではなく、信仰によってのみ神の救いに至る。
- 万民司祭主義:洗礼を受けた信者はすべて平等であり、誰もが司祭である。
- 聖書のみ:信仰の唯一の拠り所は聖書であり、教会組織や聖職者を介さず、誰もが直接聖書に接する権利を持つ。
この理念を実践するため、ルターは1534年に聖書をラテン語からドイツ語へと翻訳しました。これはドイツ語の発展にも多大な影響を与えた偉業です。
破門と晩年
1521年、ルターはローマ教皇から破門されますが、ザクセン選帝侯フリードリヒ(賢公)の庇護を受けて身を隠し、命を守りました。その後も生涯を通じて著作活動に励み、自らの思想の明確化と普及に尽力し続けました。1525年には元修道女のカタリナ・フォン・ボーラと結婚し、家庭人としての一面も見せています。そして1546年、故郷アイスレーベンでこの世を去りました。
プロフィール
生没年:1483年〜1546年
肩書き:聖職者・神学者
主な功績:宗教改革の開始、「95カ条の提題」の発表、ドイツ語訳聖書の刊行