「アレクサンダー・フレミングは1934年に他の仕事に移った」という話を目にすることがありますが、これは誤解です。実際には、フレミングは1934年に研究の方向転換を行っていません。彼はペニシリンおよびその他の抗生物質に関する研究を、1955年に亡くなるまで生涯にわたって続けました。
1928年の偉大な発見
フレミングは1928年、ロンドンのセント・メアリー病院の研究室で、青カビ(ペニシリウム)がブドウ球菌の増殖を阻止する現象を偶然観察し、ペニシリンを発見しました。この発見こそが、後に感染症治療の歴史を塗り替えることになる出発点です。
1930年代のフレミングの歩み
確かに1930年代には、ペニシリンを安定した医薬品として精製・保存する技術的な難しさがあり、彼自身による直接的な実験のペースは一時的に落ちました。この時期にはリゾチームの研究なども手がけています。しかし、それは抗菌物質研究からの撤退を意味するものではなく、フレミングは培養株を大切に保管し続け、細菌学と抗生物質への関心を決して失うことはありませんでした。
ノーベル賞受賞と晩年の業績
1939年以降、オックスフォード大学のハワード・フローリーとエルンスト・チェーンがペニシリンの抽出・大量生産と臨床応用に成功すると、フレミングの発見は世界を変える医学的成果として結実しました。1945年には、両氏とともにノーベル生理学・医学賞を受賞しています。
第二次世界大戦後もフレミングは研究の最前線に立ち続け、ペニシリンの適切な使用法について講演や執筆活動を展開し、耐性菌の出現に対して早くから警鐘を鳴らしたことでも知られています。1955年3月11日、心臓発作により73歳でこの世を去るまで、その探究心は衰えることがありませんでした。
まとめ
つまり、「1934年に他の仕事へ移った」というのは事実に反します。フレミングはペニシリンの発見者として、また抗生物質研究の先駆者として、1955年の死までその道を歩み続けたのです。