ジョン・ブラウン(1800年~1859年)は、アメリカ史上最も議論を呼んだ人物の一人です。奴隷制度廃止のために武力闘争を選んだ彼を「英雄」と見るか、「狂人」と見るかは、160年以上経った今日でも意見が真っ二つに分かれています。
英雄とされる理由
ブラウンを英雄と捉える人々は、彼が奴隷制度廃止という大義のために命を懸けて戦った勇気ある人物だったと評価します。当時のアメリカ南部では数百万人ものアフリカ系の人々が奴隷として扱われており、多くの廃止論者が言論による訴えにとどまる中、ブラウンは自らの行動で信念を貫きました。彼はフレデリック・ダグラスやハリエット・タブマンといった廃止運動の偉人たちとしばしば比較されます。
- 自らの信念のために命を危険にさらした、勇敢で献身的な廃止論者だった
- 奴隷制という問題を全米の注目の的へと引き上げた
- 後の廃止論者たちにインスピレーションを与え、南北戦争への道筋を築いた
狂人とされる理由
一方で、ブラウンを「狂人」と呼ぶ声も根強くあります。彼は目的達成のために暴力を厭わず、1856年のポタワトミーの虐殺では奴隷制支持派の入植者5名を殺害しました。また、1859年のハーパーズ・フェリー襲撃では連邦武器庫を占拠し、結果的に無関係な市民や兵士の命を奪うことになりました。
- 目的のためなら手段を選ばない、過激な暴力主義者だった
- その行動は逆効果であり、廃止運動をむしろ後退させた
- 女性や子どもを含む無辜の人々の死をもたらした
歴史の転換点となったハーパーズ・フェリー事件
1859年10月、ブラウンはバージニア州(現在のウェストバージニア州)ハーパーズ・フェリーの連邦武器庫を襲撃し、奴隷蜂起の口火を切ろうとしました。しかし計画は失敗し、彼は逮捕されて反逆罪で裁かれ、絞首刑に処されました。刑に臨む直前に残した言葉――「この罪深き国の罪は、血によらなければ決して清められないことを、私は確信している」――は、後に続いた南北戦争を予言するものとして広く知られています。
答えのない問い
ジョン・ブラウンが英雄だったのか狂人だったのか、その問いに簡単な答えはありません。彼は激動の時代を生きた、矛盾と欠陥を抱えた複雑な人間でした。確かなのは、彼の行動がアメリカの歴史に計り知れない影響を与え、その評価が今なお議論され続けているということです。結局のところ、これは個人の価値観にかかわる問題であり、どちらの立場にも一理があるのです。