ボストン虐殺事件とは
1770年3月5日、マサチューセッツ湾植民地のボストンで発生した「ボストン虐殺」は、駐留していたイギリス兵と現地の入植者(植民地人)との衝突により、5名の市民が命を落とした悲劇的な事件です。この事件は、アメリカ独立戦争へと向かう大きな転機となりました。ここでは、事件に関わった主要な人物をイギリス側と植民地側に分けて紹介します。
イギリス側の主要人物
- トマス・プレストン大尉(Captain Thomas Preston) — 事件当時、イギリス兵を指揮していた将校。
- ヒュー・モントゴメリー二等兵(Private Hugh Montgomery) — 最初の一発を発射したとされる兵士。
- ジョン・マレー二等兵(Private John Murray) — 二発目を発射したとされる兵士。
- ジェームズ・ハーティガン二等兵(Private James Hartegan) — 三発目を発射したとされる兵士。
- ウィリアム・ウェムズ二等兵(Private William Wemms) — 四発目を発射したとされる兵士。
- マシュー・キルロイ二等兵(Private Matthew Kilroy) — 五発目を発射したとされる兵士。
- ヘンリー・モントゴメリー二等兵(Private Henry Montgomery) — 六発目を発射したとされる兵士。
- ジョン・キャロル二等兵(Private John Carroll) — 七発目を発射したとされる兵士。
植民地人(ボストン市民)側の主要人物
- クリスパス・アタックス(Crispus Attucks) — アフリカ系アメリカ人の船員兼綱職人。事件の最初の犠牲者の一人であり、「アメリカ独立革命最初の殉教者」とも呼ばれています。
- サミュエル・グレイ(Samuel Gray) — 綱職人。事件で死亡した犠牲者の一人です。
- ジェームズ・コールドウェル(James Caldwell) — 見習い職人。事件で死亡しました。
- パトリック・カー(Patrick Carr) — アイルランド出身の職人。事件で負傷し、その後死亡した5人目の犠牲者です。
- エドワード・ガリック(Edward Garrick) — かつら職人の見習い。事件の発端となった兵士との口論に関わり、負傷しました。
- ベンジャミン・イーズ(Benjamin Edes) — 「ボストン・ガゼット」の印刷業者・出版者。事件を報道し、世論形成に大きな影響を与えました。
- ジョン・アダムズ(John Adams) — 後に第2代アメリカ合衆国大統衆国大統領となる弁護士。事件後の裁判でイギリス兵の弁護を引き受け、法の支配を貫く姿勢を示しました。
- サミュエル・アダムズ(Samuel Adams) — 独立派団体「自由の息子たち」の指導者。事件につながった抗議運動の組織化に関わり、反英世論を高める役割を果たしました。
事件のその後
事件後、プレストン大尉以下8名のイギリス兵が裁判にかけられましたが、ジョン・アダムズの弁護により、大多数は無罪となり、2名のみが過失致死罪で有罪判決を受けました。また、ポール・リビアによる版画が広く流布されたことで、この事件は独立運動の象徴として人々の記憶に刻まれることになりました。