歴史上の人物

ジェームズ2世に代わって王位に就いたのは誰?名誉革命の経緯と理由を解説

オレンジ公ウィリアム(ウィリアム3世)が新国王に即位

1688年の名誉革命(Glorious Revolution)において、イングランド王ジェームズ2世に代わって王位に就いたのは、オランダ総督であるオレンジ公ウィリアム(後のイングランド王ウィリアム3世)です。この政変は戦争や大規模な流血を伴わずに進んだことから「名誉革命」と呼ばれ、イギリス史における重要な転換点となりました。

ジェームズ2世が退位に追い込まれた理由

ジェームズ2世はローマ・カトリック教徒であり、多くの臣民がプロテスタントであったイングランドにおいて、カトリック的な宗教政策を強行しようとしたことが大きな問題となりました。彼の宗教改革は国民の間で広く不評を買い、王への不信感を一気に高める結果となりました。

さらに、ジェームズ2世はカトリック大国であるフランスと緊密な関係を保っていたため、「カトリック勢力が結託してイングランドを脅かすのではないか」という懸念がプロテスタント中心のイングランド社会に広がっていました。こうした宗教的・外交的な不安が、王位交代の土台となったのです。

ウィリアム3世が選ばれた理由

一方、オレンジ公ウィリアムには王位継承者としてふさわしい条件が揃っていました。

  • 熱心なプロテスタントであったこと
  • ジェームズ2世の長女メアリーと結婚しており、王位継承の血筋を持っていたこと

イングランド議会は、カトリック王の統治に危機感を抱き、ウィリアム夫妻に対してイングランドへ来て王位を引き受けるよう正式に招請しました。これを受けてウィリアムは軍隊を率いてイングランドに上陸し、支持を集めて成功を収めました。結果としてジェームズ2世はフランスへ亡命し、事実上の退位となりました。

名誉革命の歴史的意義

即位後、ウィリアム3世はメアリー2世とともに共同統治を行いました。そして1689年には「権利章典(Bill of Rights)」が制定され、議会の承認なしに課税や常備軍の維持を行うことは違法であるなど、王権に明確な制限が課されました。

この革命により、君主の権力が法と議会の下に置かれる立憲君主制の基礎が築かれた点で、名誉革命は世界憲政史上でも極めて大きな意義を持つ出来事といえます。