
オルレアン公シャルル(Charles d'Orléans、1394年11月24日 – 1465年1月5日)は、フランス王シャルル6世の弟であるオルレアン公ルイ1世の息子として生まれた貴族であり、同時に中世フランスを代表する詩人の一人でもあります。彼の人生は、百年戦争とフランス内戦という激動の時代と深く絡み合っていました。
父の暗殺とアルマニャック派対ブルゴーニュ派の内戦
シャルルの幼少期は、父ルイ1世とブルゴーニュ公ジャン無怖公(ジャン・サン・プール)との深刻な対立に彩られていました。この対立こそが、後にアルマニャック派とブルゴーニュ派による内戦へと発展する原因となります。1407年、父ルイ1世はブルゴーニュ公の命によって暗殺されました。当時13歳ほどだったシャルルはオルレアン公位を継承し、父の仇討ちという重い宿命を背負うことになったのです。
結婚とアルマニャック家との結びつき
シャルルは10歳前後の頃、従姉妹にあたるイザベル・ド・ヴァロワ(フランス王シャルル6世の娘で、イングランド王リチャード2世の未亡人)と最初の結婚をしました。しかしイザベルは1409年に早世します。その後、シャルルは南西フランスの大諸侯アルマニャック伯ベルナール7世の娘ボンヌ・ド・アルマニャックと再婚しました。この縁組によって家門の争いはアルマニャック家へと受け継がれ、「アルマニャック派」という名称の由来ともなりました。
アジャンクールの戦いと25年の捕虜生活
1415年、百年戦争最大の悲劇の一つであるアジャンクールの戦いにおいて、シャルルはフランス軍の一員として参戦しましたが、壊滅的な敗北とともにイングランド軍の捕虜となりました。以降、彼は約25年間にわたりイングランドで抑留生活を送ることになります。
しかしこの長い幽閉の歳月は、シャルルを詩人として開花させる機会ともなりました。抑留中に彼は数多くのバラードやロンドーなどの抒情詩を創作し、優雅で繊細な作品群を残しました。英語で詩を書いた数少ない中世フランス詩人の一人でもあり、その作品は中世宮廷文学の傑作として今日でも高く評価されています。
帰還と晩年
1440年、莫大な身代金の支払いによってようやく解放されたシャルルはフランスへ帰国します。晩年にはブルゴーニュ公フィリップ3世(善良公)の一族であるマリー・ド・クレーヴと三度目の結婚をし、1462年に待望の男子をもうけました。この子供こそ、後のフランス王ルイ12世です。1465年1月5日、シャルルはアンボワーズ城で約70年の生涯を閉じました。
まとめ
オルレアン公シャルルは、暗殺された父の復讐を胸に内戦の渦中を生き、アジャンクールでの捕虜という逆境を詩作の場へと変えた人物です。偉大な王朝の祖(ルイ12世の父)であると同時に、中世フランス詩の伝統を完成させた最後の、そして最も優れた詩人の一人として歴史に名を刻んでいます。