歴史クイズ

マグナ・カルタ練習問題|1215年イングランド大憲章に関する4問と解答・解説

はじめに

1215年6月、イングランド王ジョン欠地王(ジョン・ラックランド)は、反乱を起こした諸侯たちとの対立の中で「マグナ・カルタ(大憲章)」への署名を余儀なくされました。王権を法によって制限するこの文書は、のちの立憲主義や法の支配の礎となった歴史的転換点です。本記事では、マグナ・カルタに関する選択問題を4問用意し、それぞれ正解と丁寧な解説を掲載しています。試験対策や歴史の復習にぜひご活用ください。

問題1

(マッケンジー大学)1215年のイングランドにおけるマグナ・カルタについて、正しい記述を次のうちから選びなさい。

a) ジョン欠地王が署名し、イングランドとローマ教皇の分離を確定させ、国王自身を教会の首長とした。

b) 教会の資産が、ジョン欠地王を支持するイングランド貴族の手に渡ることを定め、立憲君主制を導入した。

c) ジョン欠地王をイングランド・スコットランド・アイルランドの護国卿と宣言し、過激なナショナリズムの波を巻き起こした。

d) イングランド貴族がジョン欠地王に対して押しつけたものであり、王権を制限するとともに、伝統的な臣下の権利を尊重することを王に強制した。

e) 貴族院と庶民院からなる二院制のイングランド議会を創設し、ジョン欠地王に権利章典を課した。

問題2

1215年のイングランド・マグナ・カルタに由来する権利のうち、個人の自由に直接関わるものはどれか。

a) 私有財産の権利

b) 人身保護の権利(ヘイビアス・コーパス)

c) 航海の自由

d) 決闘を行う権利

e) 裏切り行為があった場合に情熱による犯罪を行使できる権利

問題3

(マッケンジー大学)1215年、イングランドの大諸侯たちは、ジョン欠地王にマグナ・カルタへの署名を強要し、貴族階級の古くからの権利を承認させました。その一節には次のように記されています。

「我々との争いをよりよく鎮めるために、[...] 我々は彼らに以下の保証を与える。男爵たちは王国の同輩の中から25名を自らの意志で選出し、この25名が、我々が与えかつ本文書によって確認する平和と自由を遵守しなければならない……」(FRISCHAUER, Paul.『It is written: documents that marked epochs』São Paulo: Melhoramentos, 1972, p.199.)

マグナ・カルタは、典型的な封建的な法令でありながら、後にはあらゆる社会階層の自由を保障する重要文書となりました。それはなぜでしょうか。

a) ジョン欠地王が農民に有利な措置を講じたため、上級貴族の政治的・経済的権力が制限されたから。

b) ジョン欠地王が、マグナ・カルタに違反した場合には、反乱側の貴族たちが城や土地その他の財産を没収する権利を持つと認めたから。

c) マグナ・カルタに定められた男爵会議が議会の形成につながり、二院からなる議会が立法機能を担い、王権を制限するようになったから。

d) 王が選任した世俗・聖職者の貴族からなる貴族院が議会の立法機関となり、国家税の徴収管理を担当するようになったから。

e) 王が決定について絶対的な権力を持ち続けたため、男爵会議は単なる飾りにすぎなかったから。

問題4

1215年のマグナ・カルタの決議の中には、王が行う政治的変更の実施に新たな規則を課す方針が盛り込まれていました。この規則とは何でしょうか。

a) 囲い込み(エンクロージャー)の法

b) オリバー・クロムウェルが樹立した共和制独裁

c) 王が男爵会議に諮問すべきこと

d) 王が議会に対して持つ調整権

e) 貴族院に反対する法律

解答と解説

問題1:正解は D

ジョン欠地王こそが、1215年のマグナ・カルタ制定に直接関わった人物です。この出来事は、イングランドの政治・法制の仕組みを根本から変える契機となりました。

問題2:正解は B

人身保護(ヘイビアス・コーパス)の権利、すなわち自由に行き来でき、過失や罪について自由な身で弁明する権利は、イングランド・マグナ・カルタの枠組みに由来します。ただし、その精緻な制度化が実際に確立したのは、17世紀に入ってからでした。

問題3:正解は C

男爵会議の創設は、事実上、イングランド議会制度の起源となりました。これにより、庶民の層にも政治的意思決定の中心に関わる道が開かれていったのです。

問題4:正解は C

男爵会議は、王の権力を均衡させる目的で設けられました。会議の審議を経なければ、王はもはや恣意的な政治判断を下せず、他の社会階層を排除した独断も許されなくなりました。すべての決定が男爵会議によって吟味され、早くも13世紀にはイギリス議会制度の基礎が築かれたのです。