歴史クイズ

カロリング帝国に関する演習問題12選|解答と詳しい解説付き

カロリング帝国に関する演習問題

中世ヨーロッパ史を学ぶうえで欠かせないテーマのひとつが、フランク王国を母体として栄えたカロリング帝国です。ここでは、その成立から衰退までを幅広くカバーする演習問題を12問用意しました。各問題の後に解答と丁寧な解説を掲載していますので、まずは自分の力で解いてみてください。

問題1

カロリング帝国は、どのゲルマン民族が建国した王国をもとに成立したか。

A) ヴァンダル族
B) フランク族
C) 東ゴート族
D) 西ゴート族
E) サクソン族

問題2

カロリング朝は、その衰退後どの王朝に取って代わられたか。

A) メロヴィング朝
B) ブルボン朝
C) カペー朝
D) ヴァロワ朝
E) ハプスブルク家

問題3

カロリング朝の偉大な皇帝とは誰か。

A) 小ピピン
B) カール・マルテル
C) 敬虔王ルートヴィヒ
D) シャルルマーニュ(カール大帝)
E) カールマン

問題4

キリスト教に改宗した最初のフランク人の王は誰か。

A) キルデリク1世
B) シャルルマーニュ
C) 小ピピン
D) カールマン
E) クローヴィス1世

問題5

カロリング帝国の台頭の文脈で、歴史家ジャック・ル・ゴフが言及した「無為王(怠惰王)」とは誰のことか。

A) カトリック教会の行事への出席を好まなかったフランク人の王たち。
B) 戦時に軍への参加を拒んだカロリング朝の王たち。
C) 王位継承者を得られなかったカロリング朝の王たち。
D) 結婚しなかったカペー朝の王たち。
E) 統治を好まず、その職務を宮宰(宮廷長官)に委ねたメロヴィング朝の王たち。

問題6

イタリア半島でカトリック教会の領土を攻撃し、シャルルマーニュによって打ち破られたゲルマン民族はどれか。

A) サクソン族
B) アレマンニ族
C) ヴァンダル族
D) ランゴバルド族
E) フランク族

問題7

シャルルマーニュが「新しいローマ」へと変えるという名目のもと、帝国の首都としようとした都市はどこか。

A) アーヘン
B) パリ
C) ボルドー
D) マルセイユ
E) ウィーン

問題8

シャルルマーニュの統治について、誤っている選択肢を選べ。

A) 王国内での法の統一を試みた。
B) 商業取引における物々交換を奨励した。
C) 修道院に聖ベネディクトゥスの原則に従うよう奨励した。
D) 数多くの軍事遠征を行った。
E) ローマ教会との関係を断ち、コンスタンティノープル教会と同盟を結んだ。

問題9

次の文章を読みなさい。

「さて水曜日、教皇(ハドリアヌス1世)は聖俗両界の高官たちを伴い、会見のため聖堂にて王と面会した。教皇は王に切に懇願し、思い起こさせ、父なる敬愛の情をもって説得しようと試みた。すなわち、その父ペピン(聖なる記憶に留むる者)、ならびにカール自身とその兄弟カールマン、そしてすべてのフランク人の貴顕たちが、フランスへ赴いた際に、イタリアの諸州の様々な都市と領土を聖ペテロとその代理者である教皇(ステファヌス2世、聖なる記憶に留むる者)に授け、永続的に委ねると約束したことを、すべて果たすようにと[...]」

(PEDRERO-SÁNCHEZ, Maria Guadalupe『中世の歴史:テキストと証言』サンパウロ:Editora UNESP、2000年、68〜69頁)

この文章から読み取れることは次のうちどれか。

A) シャルルマーニュがカトリック教会を喜ばせることにほとんど関心がないことがわかる。
B) シャルルマーニュとカトリック教会との緊密な関係が強調されている。
C) カロリング朝の拡張戦争の失敗が示されている。
D) カロリング朝の聖座に対する敵意が描かれている。
E) 以上のすべて。

問題10

カロリング帝国は誰の戴冠によって始まったか。

A) 小ピピン
B) カール・マルテル
C) クローヴィス1世
D) ユーグ・カペー
E) 上記のいずれでもない

問題11

シャルルマーニュの法律や命令は、どのような名称で知られる文書を通じて発せられたか。

A) リーフレット
B) カピトゥラレ(勅令)
C) 決定
D) 配置
E) 判決

問題12

カロリング帝国の後継とみなされる帝国はどれか。

A) 教皇領
B) フランス王国
C) 神聖ローマ帝国
D) カスティーリャ王国
E) アラゴン王国

解答と解説

問題1の解答:B(フランク族)

カロリング帝国は、西ローマ帝国の崩壊期にガリア地方へ定住したゲルマン民族であるフランク族の王国を受け継ぐ形で成立しました。カロリング家はフランク王国の支配者層として台頭し、やがて王朝を確立することになります。

問題2の解答:C(カペー朝)

カロリング朝が衰退すると、それに取って代わったのがカペー朝です。987年にユーグ・カペーがフランク人の王として戴冠したことでこの王朝が開かれ、以降、カペー朝はフランス王国の基盤を築いていくことになりました。

問題3の解答:D(シャルルマーニュ)

シャルルマーニュ(カール大帝)は768年から814年まで統治したカロリング朝最大の皇帝です。フランク人に対する数々の改革を実施するとともに多くの領土征服を指揮し、800年には教皇レオ3世により皇帝として戴冠されました。

問題4の解答:E(クローヴィス1世)

クローヴィス1世はキルデリク1世の子で、キリスト教に改宗した最初のフランク人の王です。496年、アレマンニ族との戦いの直前に改宗したとされ、この改宗はフランク人の間にキリスト教を広めるうえで決定的な役割を果たしました。

問題5の解答:E

「無為王」あるいは「怠惰王」と呼ばれたのは、歴史家ジャック・ル・ゴフが指摘するように、フランク王国の実権を宮宰(宮廷長官)に委ねてしまったメロヴィング朝の王たちのことです。彼らは王国の統治責任を担うことを望みませんでした。

問題6の解答:D(ランゴバルド族)

ランゴバルド族の討伐は、聖座からの要請に応えたものでした。シャルルマーニュはランゴバルド王デシデリウスを打ち破り、パヴィアの宮殿でランゴバルド人の王として戴冠しました。

問題7の解答:A(アーヘン)

アーヘンは、シャルルマーニュが自らの帝国の首都とし、「新しいローマ」にしようと試みた都市です。彼はこの地に豪華な宮殿を建設しましたが、その死後、宮殿は次第に荒廃していきました。

問題8の解答:E

シャルルマーニュはローマ教会との関係を断っていません。むしろその統治期間を通じて、ローマの聖座との結びつきを可能な限り強固に保とうと努めました。800年の皇帝戴冠も、教皇との協力関係の表れといえます。

問題9の解答:B

この一節は、カロリング朝とカトリック教会との緊密な関係を示しています。シャルルマーニュは、先祖や自身が教会になした約束の履行を求められているのです。これは教会との深いつながりの証左といえるでしょう。

問題10の解答:A(小ピピン)

カロリング帝国、ひいてはカロリング朝は、751年に小ピピンがフランク人の王として戴冠したことに始まります。彼はその地位の確立にあたりカトリック教会の支持を得ており、この戴冠はメロヴィング朝の終焉を意味するものでした。

問題11の解答:B(カピトゥラレ)

歴史家ジャック・ル・ゴフによれば、紙に記録されたシャルルマーニュの命令は「カピトゥラレ(capitularia)」と呼ばれていました。これは王が特別に発布した勅令の一種で、王国全体に及ぶ一般的なものもあれば、特定の地域に限定されたものもありました。

問題12の解答:C(神聖ローマ帝国)

ヨーロッパにおけるカロリング朝の後継とみなされているのは神聖ローマ帝国です。10世紀後半、オットー1世が皇帝として戴冠したことで形成されたこの大帝国は、かつてカロリング朝が支配していた土地の多くで発展しました。