歴史クイズ

イングランド王ハロルド1世(ハレフット)の敵は誰だったのか?

イングランド王ハロルド1世(Harold I、通称ハレフット=Harefoot)は、デンマーク出身の王クヌーズ大王(Cnut the Great)の長男として知られています。1035年に父が死去すると、北海に広がる巨大な王国の行方は不透明になり、イングランドは継承問題の渦中に置かれることになりました。

父クヌーズ大王の死と摂政への就任

クヌーズ大王の死後、後継者の座は異母弟ハーザクヌート(Harthacnut)にあるとされていました。しかしハーザクヌートはデンマークに留まっており、ノルウェー王マグヌス1世の圧力に直面していたため、イングランドへ渡ることができませんでした。そこで彼は兄ハロルドをイングランドの摂政に任命し、自らはスカンジナビアの情勢に対応することになります。

ハロルドの周囲にいた「敵」となり得る勢力

継母エマとハーザクヌート擁護派

ハロルドにとって最大の政治的障害となったのが、先王エゼルレッド2世とクヌーズ大王の両方に嫁いだ経験を持つ継母、ノルマンディーのエマです。彼女は実子ハーザクヌートの即位を強く望み、ウィンチェスターを拠点に抵抗しました。当初は有力貴族ゴドウィンもハーザクヌート側に与したため、ハロルドは一時イングランド南部での足場を失いかねない状況に置かれていました。

アルフレッド・アシリングの悲劇

1036年には、エマとエゼルレッド2世の息子アルフレッド・アシリングがノルマンディーからイングランドへ渡ります。彼は捕らえられた末に失明させられ、ほどなくして命を落としました。この事件ではハロルド陣営の関与が疑われ、彼の評判に暗い影を落とすことになりました。

北方からの脅威――ノルウェー王マグヌス1世

ハロルドと直接対峙したわけではありませんが、ノルウェー王マグヌス1世(善王)によるデンマークへの攻撃は、ハーザクヌートを大陸側に釘付けにする大きな要因でした。皮肉にも、この外敵の存在こそが、ハロルドがイングランドで主導権を握ることを可能にしたといえます。

1037年、名実ともに王へ

ハーザクヌートの帰還が遠のく一方で、ハロルドへの支持は着実に広がりました。1037年には諸侯の合議により、彼は正式にイングランド王として選出されます。エマはウィンチェスターからの退去を余儀なくされ、ハロルドの地位は揺るぎないものとなりました。

結論:ハロルド1世に「永続的な敵」はいたのか?

ハロルド1世は1040年に亡くなるまで、内乱や外敵による決定的な打撃を受けることなく統治を行いました。存命中に彼を倒せるほどの敵は現れず、王位は最終的に異母弟ハーザクヌートへと引き継がれています。

ただし、その死後の展開は見逃せません。ようやくイングランドへ戻ったハーザクヌートは即位すると、ハロルドの遺体を墓から掘り起こし、テムズ川沿いの湿地に投げ捨てるという報復を行ったのです。兄弟間の対立は完全に消えていたわけではなく、むしろ死後に表面化したといえるでしょう。