フィリピンの国民的英雄ホセ・リサールは、後にアテネオ・デ・マニラに入学して優秀な成績を収めることになりますが、実は最初の入学申請の際には受け入れを拒否されていました。その背景には、主に3つの理由がありました。
1. 年齢要件を満たしていなかった
当時のアテネオ・デ・マニラでは、入学の最低年齢が16歳と定められていました。しかし、リサールは申請時にわずか11歳しかなかったため、年齢面での基準を満たすことができませんでした。
2. マニラ出身ではなかった
アテネオ・デ・マニラの定員には限りがあり、まずマニラ在住の生徒が優先的に受け入れられる仕組みになっていました。地方出身の学生は、その次にようやく枠が割り当てられるという立場でした。リサールはラグナ州カランバの出身だったため、この点でも不利でした。
3. 体格が小さく虚弱だった
さらに、リサールは同年齢の子どもと比べて体が小さく、病弱な印象を与えていました。厳しい学校生活に耐えられるかどうか懸念されたことも、不合格の一因となったとされています。
その後の展開
幸いにも、リサールはマヌエル・ブルゴス神父の尽力により再試験の機会を得て、最終的にアテネオ・デ・マニラへの入学を果たしました。入学後は際立った学業成績を残し、同校の歴史に名を刻む存在となりました。この逸話は、後の偉大な英雄が幼少期に困難を乗り越えたことを示すものとして、今も多くの人々に語り継がれています。