恐怖政治(テロルの支配)とは、1793年から1794年にかけて、フランス革命の最盛期に行われた国家公認の暴力政治を指します。簡素な裁判による即決処刑が特徴で、反革命勢力だけでなく、革命内部の敵対者までをも弾圧する手段として用いられました。この時期を主導したのが、マクシミリアン・ロベスピエール率いる公安委員会です。
ギロチンが象徴する処刑の時代
恐怖政治の下では、数千人がギロチンによって処刑されました。なかでも有名なのが、国王ルイ16世(1793年1月処刑)と王妃マリー・アントワネット(同年10月処刑)です。ギロチンは恐怖政治の象徴となり、公開処刑は群衆の前でおこなわれる、不気味な見世物のような様相を呈することもありました。
公安委員会の目的と恐怖政治の実態
公安委員会の狙いは、革命の敵を一掃し、共和政体の権力を守ることにありました。恐怖政治の時代は、社会全体を覆う恐怖と猜疑心が際立っており、ごく軽微な反発や批判の言葉でさえ、逮捕や処刑につながりかねない空気が漂っていました。
ロベスピエールによるテロルは1794年の夏にピークを迎え、わずか数ヶ月の間におよそ1,400人が処刑されたとされています。
ロベスピエールの失脚と恐怖政治の終焉
しかしながら、過度な暴力と強権的な統治手法は、広範な不満を招くことになりました。ロベスピエールへの支持が次第に弱まる中、彼と公安委員会内の盟友たちは1794年7月に逮捕され、自らもギロチンの露と消える運命をたどりました。
恐怖政治の終結は、フランス革命における重大な転換点となりました。以降、革命はより穏健な段階へと移行し、1795年には総裁政府(ディレクトワール)が成立することになります。