「中間航路(ミドル・パッセージ)」と呼ばれる大西洋横断の航海では、推定1,000万人から1,200万人ものアフリカ人たちが、奴隷として強制的に移送されました。これは16世紀から19世紀にかけて続いた大西洋奴隷貿易における、最も悲惨な区間でした。
正確な犠牲者数は今も不明
しかし、この航海の途中で亡くなった人々の正確な数は、現在もわかっていません。その主な理由は、当時の船の航海日誌やその他の重要な記録が、長い年月の中で紛失または破壊されてしまったためです。そのため、歴史学者たちは残された断片的な資料をもとに推定を行うしかありません。
中間航路とはどのような航路だったのか
中間航路は、ヨーロッパ・アフリカ・アメリカ大陸を結ぶ「三角貿易」の一部であり、西アフリカからカリブ海や南北アメリカへ奴隷化された人々を運ぶ航路を指します。航海には数週間から数か月を要し、人々は狭く不衛生な船倉にぎゅう詰めに収容されました。
船上での過酷な状況
劣悪な衛生環境、極度の混雑、栄養不足、そして伝染病の蔓延などにより、航海中に多くの命が失われたと考えられています。研究によっては、移送中の死亡率が10%から20%に達したと推定するものもあります。つまり、アフリカを旅立った数百万人の人々が、新天地に到着することなく海に眠ることになったのです。
歴史から学び続けること
記録の欠如ゆえに犠牲者の全貌を知ることは困難ですが、中間航路が人類史上最大級の悲劇の一つであったことに変わりはありません。この歴史を正しく伝え続けることは、二度と同じ過ちを繰り返さないために非常に重要です。