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イングランドは西暦886年に分割されたのか?「ウェドモア条約」と「デーンロー」の真実を解説

「イングランドは西暦886年に分割された」という説がよく見られますが、これは正確な表現とは言えません。実は、イングランドが一つの統一国家として存在するようになったのは10世紀に入ってからであり、886年の時点で「イングランド」という国自体がまだ成立していなかったのです。

886年以前のイングランドは「国」ではなかった

9世紀のブリテン島には、単一のイングランド王国は存在せず、ウェセックス、マーシア、ノーサンブリア、イースト・アングリアなど、複数のアングロサクソン系王国が並立していました。これらの王国は互いに争いながら、時に連合して外敵に対応するという状況でした。

878年の「ウェドモア条約」による事実上の分割

イングランド地域が東西に分断されるきっかけとなったのは、878年のウェドモア条約(Treaty of Wedmore)です。この年、ヴァイキング(デーン人)の大軍を破ったウェセックス王アルフレッド大王と、デーン人指導者グズルムとの間で講和が結ばれました。

この条約により、グズルムはキリスト教の洗礼を受け、デーン人はイングランド東部に定住することを認められました。こうして、西部はアングロサクソン人の支配下に、東部はデーン人の勢力圏として分けられることになったのです。

886年、「アルフレッドとグズルムの条約」で境界線が確定

その後、886年頃に締結されたアルフレッドとグズルムの条約によって、両勢力の境界線が正式に定められました。この境界線より東側の地域は、後にデーンロー(Danelaw)と呼ばれるようになります。つまり「886年の分割」というのは、この条約によって確定した東西の勢力分界を指していると考えるのが妥当です。

デーンローとは?

デーンローは、現在のロンドン北東部からイースト・アングリア、ミッドランド東部、ヨークシャー一帯に及ぶ広大な地域で、独自の法律(デーン法)や慣習が適用されました。この地域では北欧由来の地名や言葉が数多く残っており、今日の英語にもその影響が見られます。

まとめ

886年に「イングランド」という統一国家が分割されたわけではなく、正しくは878年のウェドモア条約以降、アングロサクソン勢力とデーン人勢力の間で領域が分けられ、886年前後の条約でその境界が確定したというのが歴史的事実です。イングランドが真に統一されるのは、その後のウェセックス王家による再征服を経て、10世紀にエドワード長兄王やアゼルスタンの代になってからのことでした。