歴史クイズ

アメリカ中部植民地で行われていた刑罰の種類とは?鞭打ちから投獄まで

中部植民地における刑罰の概要

17世紀から18世紀のアメリカ中部植民地(ニューヨーク、ニュージャージー、ペンシルベニア、デラウェア)では、現代のような矯正施設による刑罰体系はまだ確立されていませんでした。代わりに、身体への苦痛や公衆の面前での恥辱を与えることで犯罪を抑止するという考え方が主流でした。

以下では、当時実際に行われていた主な刑罰を5つ紹介します。

1. 鞭打ち

鞭打ちは、窃盗、酩酊、乱暴な行為など、さまざまな軽犯罪に対して広く用いられた代表的な刑罰でした。刑の執行は市場広場など人目につく場所で行われることが多く、罪状の重大さに応じて打つ回数が決められました。公開の場での鞭打ちは、本人への懲罰であると同時に、見物人への警告という役割も果たしていました。

2. 烙印(らくいん)

烙印は、罪を犯した者の頬や額に赤く焼けた鉄棒を押し当て、文字や記号を焼き付けるという過酷な刑罰です。焼き付けられた印は生涯消えることがなく、罪の種類を示すアルファベットが刻まれるのが一般的でした。この刑罰は、身体の傷を通じて犯罪者を社会の中で恒久的に標識化することを目的としていました。

3. 晒し台(ピラリー)

晒し台は、首と両手を枠に固定して通行人の前に長時間さらす装置です。罪人は群衆の面前で腐った野菜や卵などを投げつけられ、公衆の嘲笑と屈辱を受けました。名誉毀損や偽証など、社会的信頼に関わる罪に対して科されることが多く、恥を与えること自体が罰となるという当時の刑罰思想をよく表しています。

4. 足枷(ストックス)

足枷は、両足を木製の枷に固定する点が晒し台との大きな違いです。首と手を固定する晒し台に比べると身体的拘束は比較的緩やかでしたが、それでも罪人は数時間、場合によっては数日間にわたり座ったまま放置され、通行人からの非難や嘲弄にさらされ続けました。酩酊や軽い素行不良などに対してよく用いられた刑罰です。

5. 投獄

中部植民地において投獄は、他の刑罰と比べるとまだ一般的ではありませんでした。当時の牢獄は、長期収監によって受刑者を更生させる場というより、裁判までの身柄拘束や、殺人・強盗などの重罪に対する処罰として機能していました。独立後、19世紀にかけて刑務所制度が整備されるにつれ、投獄は次第に中心的な刑罰へと移り変わっていきます。

まとめ

中部植民地の刑罰は、身体刑と公開の恥辱を組み合わせたものであり、犯罪抑止と共同体による規律の維持を主眼としたものでした。これらの刑罰は、近代的な刑務所制度が発展するまでの過渡期の産物であり、当時の社会が罪と罰をどのように捉えていたかを知る貴重な手がかりとなっています。