歴史クイズ

ハロルド・ゴドウィンソンはなぜ1066年にイングランド王へ戴冠したのか?

1066年1月5日、イングランド王エドワード懺悔王(エドワード証聖者)が後継者を残さないままこの世を去りました。これにより王位継承危機が勃発し、複数の王位請求者が名乗りを上げることになりました。その中には、ウェセックス伯として強大な勢力を誇り、エドワードの義理の息子でもあったハロルド・ゴドウィンソンと、母方を通じてエドワードと遠い親戚関係にあったノルマンディー公ウィリアムが含まれていました。

ハロルドは国王の死を知ると、素早く行動を起こし王位の確保に動きました。イングランドの貴族たちに自らの継承権を訴えて支持を取り付けることに成功し、翌日の1066年1月6日、ウェストミンスター寺院で正式に戴冠式を挙げたのです。

ハロルドの戴冠を支えた4つの要因

1. 権力と影響力

ウェセックス伯として、ハロルド・ゴドウィンソンはイングランド国内で絶大な権力と影響力を握っていました。相当な富を蓄えるだけでなく、イングランド貴族の間に強固な同盟ネットワークを築いていました。父ゴドウィンもかつて王国で最も有力な伯爵の一人として君臨した人物であり、一族の基盤は盤石でした。

2. 人気と支持

有能な行政官であり、優れた軍事指導者であり、教会の篤い後援者でもあったハロルドは、イングランド民衆から広く支持されていました。特にウェールズとの戦いにおける勝利や、ノルウェー軍の侵入に対する防衛の功績によって、人々から深い敬意を払われていました。

3. 賢人会議(Witan)の選択

アングロサクソンの有力貴族や聖職者から構成される評議会「賢人会議(Witan)」は、王位継承者の決定において重要な役割を担っていました。彼らはハロルドを、イングランドの利益を守り、国の安定を維持できる強靭で有能な候補者であると評価していました。

4. エドワード懺悔王の遺言

確固たる証拠こそ存在しないものの、一部の中世の史料によれば、エドワードは死の床でハロルドを後継者に指名したと伝えられています。これらの記録によると、エドワードはハロルドこそが王国を外敵から守り、アングロサクソンの伝統的な生活様式を守り抜ける最適な人物だと考えていたといいます。

戴冠がもたらした対立とヘイスティングスの戦い

ただし、ハロルドの即位がすべての人々に受け入れられたわけではありませんでした。同じくイングランド王位を主張していたノルマンディー公ウィリアムは、ハロルドの戴冠を違法な行為と断じ、自らの主張を力ずくで実現するため侵攻の準備を進めました。この対立は最終的に1066年のヘイスティングスの戦いへと発展し、ハロルドは戦死。ここにノルマン・コンクエスト(ノルマン人によるイングランド征服)が始まり、イングランドの歴史は大きく転換点を迎えることとなったのです。