パトリック・ヘンリーは、1765年5月29日、バージニア植民地議会(ハウス・オブ・バージェシズ)において、印紙法への反対を訴える有名な演説を行いました。
印紙法とは何だったのか
イギリス議会は1765年3月、北米植民地におけるあらゆる紙類に課税を義務づける「印紙法(スタンプ・アクト)」を可決しました。新聞、法律文書、契約書など、日常的に使われる紙文書のほとんどが課税対象となったため、この法律は植民地の人々の強い不満を招き、各地で抗議活動やデモが巻き起こりました。
ヘンリーが演説に立った背景
バージニアでは、当時まだ若手弁護士だったパトリック・ヘンリーが、印紙法を非難しその撤廃を求める一連の決議案(バージニア決議)を議会に提出しました。この決議案をめぐる討論の中で行われた彼の演説は、アメリカ史上最も力強く、影響力のある演説の一つとされています。
演説の中でヘンリーは、印紙法が植民地人の憲法上の権利を侵害していると主張しました。すなわち、植民地人が課税されるのは自らが選んだ代表者を通じての場合のみであり、選挙権を持たないイギリス議会による直接課税は自由への侵害だというのです。この考え方は、後に「代表なくして課税なし」というスローガンとして結実していきました。
演説がもたらした影響
ヘンリーの演説は、植民地の権利に対する情熱的な弁明であり、独立の大義への支持を結集させる大きな力となりました。彼が提出した決議案はバージニア植民地議会で採択され、バージニアはイギリスの権威に公然と立ち向かった最初の植民地となりました。
なお、ヘンリーの名を一躍全米に知らしめた「自由をくれ、さもなくば死を(Give me liberty, or give me death!)」という言葉は、その10年後の1775年、第二次バージニア大会での演説によるものです。しかし、その名声の礎となったのは、まぎれもなく1765年のこの印紙法反対演説でした。
その後の展開
印紙法は最終的に1766年に撤廃されました。しかし、1765年に起きた一連の出来事は、北米植民地における独立運動の気運を大きく押し上げることとなり、やがてアメリカ独立戦争へとつながっていくのです。