「ザクセン王のために食べて、飲んで、ベルトを緩めよ」
ポーランドには、こんな有名な言い回しがあります。「ザクセン王のために食べて、飲んで、ベルトを緩めよ」。これは決して誇張ではありません。ポーランド貴族(シュラフタ)の衰退期にあたる18世紀のサクソン朝時代、贅を尽くした宴が連日のように開かれ、人々は想像を絶する量の酒をあおっていました。二日酔いに苦しむ貴族が余りにも多かったため、国家が分割されていても誰も気づかなかったのではないか、と皮肉られるほどだったのです。
年間ビール消費量は700リットル超
当時の貴族たちの酒への情熱は、数字を見れば一目瞭然です。歴史家の推定によると、サクソン朝時代には、邸宅に住む貴族や裕福な町人が、一人当たり年間約20リットルのウォッカと、700リットルを超えるビールを飲んでいました。今日の統計的な年間アルコール消費量が純アルコール換算で一人約7リットルであることと比べれば、その差は歴然です。
ある日記作者アダム・モシチュニェスキは、こう回想しています。「アウグスト2世の時代に乱れに乱れたこの国は、アウグスト3世の治世になっても、まだ酔いから覚めていなかった」と。
また、イェンジェイ・キトヴィチ神父は著書『アウグスト3世治世下の習俗について』の中で、次のように述べています。
「ビールが流行していた土地では、朝食から昼食まで、そして夕食から寝床につくまで飲まれていた」
さらに彼はこう付け加えています。「中には喉の良さと腹の広さに恵まれた者もいて、ジョッキ一杯のビールを休むことなく一息で飲み干した」と。
同時代の銅版画に描かれた18世紀の宴。『ポーランド味覚の歴史』より。
ビール王国ポーランド――種類は数千とも
実のところ、18世紀ポーランドで最も人気があったのはビールでした。ほぼすべての貴族の荘園で醸造されていたため、その種類やレシピは数百どころか数千に及んだといいます。
ここで重要なのは、当時主流だったのがアルコール度数2〜3%程度の、いわゆる「薄いビール」だという点です。だからこそ貴族たちは、賭け事の合間に一度に十数杯ものビールを空けることができ、年間ではしばしば1,000リットル以上を飲んだのです。
大ポーランド地方では、グロジスク・ビールが特に高い評価を受けていました。キトヴィチによれば、それは「薄くて美味しく、頭も痛くしない。だからこそ、家にグロジスク・ビールのない貴族は貧乏人かケチだと見なされた」とのことです。
そのほかにも、『ポーランド味覚の歴史』の著者たちは、18世紀の名だたるポーランド産ビールとして、オトヴォツク、ヴィラヌフ、ヴァホツク、ギエルニウフ、ブカツキエ、ティウジャなどを挙げています。
一方で際立っていたのがマウォポルスカ(小ポーランド)地方です。そこで「ふさわしい」とされたのは、なんとイングランド産ビールだけでした。ロンドンから直輸入される、強くて泡立ちの良いビールは、最も富裕な層だけが手にできる贅沢品。平均的な貴族たちは、ワルシャワ近郊オボルィなどで醸造される、模倣のポーランド産ポーターで我慢するしかありませんでした。
18世紀、ラジヴィウ家の宮廷での宴。酒は滝のように注がれる……。
最高の目利きは聖職者と御者?
ビールの種類と質が豊富だったため、酒の通たちは仕事に困りませんでした。そしてこの分野の最高の専門家は、なんと聖職者と御者だったといいます。『ポーランド味覚の歴史』の著者マイャ&ヤン・ウォジニスキ夫妻によると、当時はこんな格言まであったそうです。「司祭と御者が飲むところに、最高のビールがある」。
庶民には手の届かなかったウォッカ
ビールに次いで人気があったのは蒸留酒(ウォッカ)でした。最も多く蒸留されていたのはライ麦からで、小麦やプラムが原料になることもありました。ただし当時のウォッカはまだ高価な飲み物で、手にできたのは主に富裕層でした。ウォッカが農民の間で普及するのは、次の世紀、ジャガイモからの生産が広まってからのことです。
この価格の壁のため、金持ちのポーランド人でさえ、しばしば倹約し、人目を忍んで最安値の酒――いわゆる「オルディナリア(並酒)」――を飲んでいました。ある外国人旅行者は回顧録にこう記しています。「最も貴族的なポーランド人たちは、それを箱に入れて携帯し、ほぼ一時間ごとに飲まなければならない」と。
朝の一杯で体を温める
統計上の「平均的な貴族」が実際にそれほど飲んでいたかどうかを判断するのは難しいですが、飲む時間帯に制限などなかったことは確かです。18世紀の教養あるポーランド人は、正午や午後1時から飲み始めるなどとは決して考えませんでした。最初のウォッカは朝食とともにあおられたのです。体を温めるために!
というわけで、読者の皆様にも、どうぞ美味しい一杯を……。
出典:
マイャ&ヤン・ウォジニスキ『ポーランド味覚の歴史』PWN(ポーランド科学出版社)、2012年。