歴史物語

「泥棒作戦」— シリアの武器輸送船を奪った大胆作戦、イスラエル諜報史の幕開け

1948年、緊迫の地中海

建国されたばかりのイスラエルとシリアの関係は、張り詰めた糸のように緊迫していた。そんな折、イスラエル諜報機関は地中海でシリア向けの武器輸送を妨害することを決意する。この作戦をめぐる出来事は、優れたアクション映画の題材になりうるほど劇的だった。この映画がまだ制作されていないことの方が、むしろ不思議なくらいである。

チェコスロバキアでの「買い物合戦」

1948年2月、シリアの代表としてアブドゥルアジズ・ケリネ大尉がチェコスロバキアへ派遣された。その任務は、現地のチェスカー・ズブロヨフカ(Česká zbrojovka)の工場で大量の武器を購入することだった。シリアは、将来のユダヤ人国家との紛争に備え、自軍の攻撃力を強化しようとしていたのである。大尉が購入したのは、ライフル1万丁と弾薬800万発に及んだ。

偶然にも同じ頃、同じ目的を持って、ユダヤ機関の特使エフード・アヴィエルもチェコスロバキアへ向かっていた。彼もまた同規模の武器を購入していた。

現地でアヴィエルは、シリア人将校の任務について知ることになる。これは彼を大きく動揺させた。ケリネが購入した武器がシリア兵の手に渡れば、中東の勢力均衡がユダヤ人国家に不利な形で大きく傾いてしまう可能性があった。事態はただちにダヴィド・ベングリオンへ報告された。後のイスラエル初代首相は一瞬もためらわず、どんな犠牲を払ってでもこの荷物を止めよ、と命じた。こうして、数々の驚異的なイスラエル諜報作戦の第一弾が幕を開けたのである。

「泥棒作戦」— シリアの武器輸送船を奪った大胆作戦、イスラエル諜報史の幕開け

シリア向け武器輸送の情報を得たベングリオンは、何としてでも阻止しなければならないと即座に理解した。

干し草の山から針を探すように

一方、何も知らないアラブ側は、老朽化したイタリアの蒸気船「リノ」をチャーターし、アドリア海の港リエカからベイルートまで購入済みの武器を運ぶ手はずを整えていた。その動きはエフード・アヴィエルによって逐一監視されていた。彼は当時のユダヤ人武装組織ハガナの本部へ、すべてを報告し続けた。やがて下された決断は、「リノ」を公海上で撃沈するというものだった。この任務を託されたのは、カナダ空軍出身の退役軍人フレディ・フレドケンス。輸送機アブロ「アンソン」を操縦して爆撃を行う計画である。

フレドケンスは3夜連続でローマ近郊の空港から離陸し、ダルマチア沿岸を哨戒して蒸気船を探し出そうとした。しかし何の成果も上がらなかった。「リノ」は水の中の石のように消えてしまったのだ。

すべて共産党のせい?

失踪の謎はほどなく解明される。実は4月1日、船は激しい嵐の海域に入り込み、推進装置にトラブルが発生。イタリアの小さな港モルフェッタに入港せざるを得なくなっていたのだ。イスラエル側は素早く反応し、港の中で「リノ」を爆破するという計画を立てた。

ところが、シリアの武器を積んだ船がイタリアの港に現れたことは、同国の政界をひっくり返しかねない騒ぎとなった。当時アペニン半島では、戦後初の自由選挙の準備が進められており、共産党が大きな人気を集めていたのである。

「泥棒作戦」— シリアの武器輸送船を奪った大胆作戦、イスラエル諜報史の幕開け

アーダ・セレーニの機転により、イタリア共産党への武器密輸疑惑が全国に報じられることになった。

イスラエル側はこれを巧みに利用した。ハガナのイタリアにおける協力者アーダ・セレーニは、紙コリエーレ・デラ・セーラの編集部に「共産党が武器を備蓄し、クーデターを準備している」という情報を流したのである。12時間以内にこのニュースは全国のあらゆる新聞の見出しを飾った。もちろん共産党はこれを否定し、逆に右派によるクーデター未遂だと非難した。相互の非難合戦が始まった末、ついにイタリア政府が動き、船舶の拿捕を命令。「リノ」はイタリア海軍の港バーリへ移された。イスラエル側は、これで行動を組織するのに必要な時間を稼げたと考えた。

ところが、蒸気船の船長が当局に対し、武器の出所と入港理由を明かしてしまう。こうなると、厄介ごとを片付けるためにイタリア当局が船を出港させる可能性は極めて高かった。さらに親シリア派の英国からも圧力がかかり、やがて英国駆逐艦が「リノ」のすぐそばに停泊する始末。状況は一気に複雑さを増した。

「ゴム風船爆弾」

それでもイスラエル側は破壊工作を諦めなかった。作戦の指揮を執ったのは、ローマにおけるハガナ拠点の責任者ムニア・マルドールである。実行要員には、パルマッハ(ハガナの精鋭特殊部隊)出身のヨセフ・ドロールと、ダイバーのベニ・クラヴィッツ、メイル・ファリックが任命された。

マルドールはグループのために、米軍のダッジ軍用ピックアップトラック、米軍制服一式、そして偽造書類を揃えた。これによって港エリアへの潜入が可能になった。さらに彼らはゴムボートと、TNT火薬、自動車のタイヤチューブ、そしてコンドームで即席に作られた機雷を所持していた。

「泥棒作戦」— シリアの武器輸送船を奪った大胆作戦、イスラエル諜報史の幕開け

蒸気船「リノ」撃沈の任務は、精鋭パルマッハ部隊の隊員たちに託された。

1948年4月5日、工作員たちはローマを発ちバーリへ向かった。現地では数日間にわたり港とその周辺を監視し、「リノ」への攻撃の可能性を探った。しかし夜闇に紛れての最初の接近の試みは、英国駆逐艦乗員の異常なまでの活発さのため失敗に終わった。彼らはサーチライトで蒸気船周辺の水面をくまなく照らしており、工作班は引き返さざるを得なかったのである。

それでもユダヤ人の破壊工作員たちは諦めなかった。翌日、4月9日から10日にかけての夜に再び試みる。今回は英国艦の乗員の活動はさらに活発だった。多数の照明が灯され、士官たちが命令を叫び、ある瞬間には機銃掃射まで行われた。しかし撤退という選択肢はない。任務は完遂しなければならない。すると突然、午前1時30分、駆逐艦上でのこれらの行動の理由が判明した。艦は錨を上げ、港の出口へと向かったのだ!「リノ」への道が開かれた!

消え去った蒸気船

今度はすべてが計画通りに進んだ。ダイバーたちは蒸気船の船体下部に機雷を取り付け、安全に撤収した。そして午前4時きっかり、船は突然の爆発に襲われた。「リノ」は10分以内に沈没した。イタリアの報道機関は再び沸き立ち、今度は輸送船上の「謎の爆発」について書き立てた。地元警察の捜査も何も明らかにできなかった。すべての背後にイスラエルがいたなど、誰も思い至らなかったのである。

しかし、シリアの武器をめぐる問題はこれで終わりではなかった。シリア政府は積荷の引き揚げを決定した。担当したのはフアド・マルダム大佐である。彼は海洋救助を専門とするイタリア企業を雇い、貴重な積荷の相当部分を回収することに成功した。あとはベイルートへ輸送するだけとなった。ユダヤ人は再び行動を起こさねばならなかった。

イタリア側はさらなる事件の発生を恐れ、シリアのライフルを厳重な警備のある倉庫へ保管した。これにより陸上での破壊工作は不可能となり、海上からの作戦しか残されていなかった。

善意は必ず見つかるもの

一方、マルダム大佐は深刻な問題を抱えていた。武器を本国へ運ぶ輸送手段がどうしても見つからなかったのである。ところが意外なことに、彼が宿泊していたホテルの支配人が助け舟を出した。その男は、海運代理店「メナラ・シッピング・エージェンシー」を勧めたのだ。これにより大佐は貨物船SS「アルギロ」をチャーターすることができた。

「泥棒作戦」— シリアの武器輸送船を奪った大胆作戦、イスラエル諜報史の幕開け

当初の挫折の後、イスラエル側はついに成功を収めた。蒸気船「リノ」は沈んだのだ。

マルダムが知っていたのは一つのことだけだった。イスラエル側が自分の一挙一動を注意深く監視している、ということだ。実はホテルの支配人はハガナ諜報機関の協力者であり、問題の代理店はユダヤ人の地下組織とつながりがあり、第二次世界大戦中にはユダヤ人をパレスチナへ密航させる仕事を手がけていたのだ!

出航直前、「アルギロ」の船長はマルダムに、乗員2名が病気になったため新しい船員を乗せる必要があると伝えた。その「新しい」船員こそ、パルマッハのメンバーだったのである。輸送船はバーリで武器を積み込み、8月19日に出航した。自己満足に浸るマルダム大佐は、シリアへ飛んだ。

「泥棒作戦」— シリアの武器輸送船を奪った大胆作戦、イスラエル諜報史の幕開け

流血なき勝利

航海中、新しい乗組員たちは機関室を破壊工作し、船を航行不能にした。幸い近くに漁船がおり、その船長が「アルギロ」の船長に助けを申し出た。そして漁師二人が打ち合わせのために乗船してきた。もちろん、彼らはイスラエルの工作員である。こうして蒸気船の上には4人の工作員が揃うことになった。彼らは素早く残りの乗員を制圧し、船の支配権を握った。

間もなく小型のイスラエル船2隻が近づき、武器の積み替えと捕虜の移送が行われた。「アルギロ」は沈められた。ユダヤ人たちは極めて効率的に、しかも流血なしに、貴重な獲物を奪取したのである。

「アルギロ」のイタリア人乗員には手厚い贈り物が与えられ、帰国が許された。この一件で最も不幸な結末を迎えたのは、フアド・マルダム大佐だった。彼は裁判にかけられ、イスラエルとの協力の罪で告発され、死刑判決を受けたのである。そこでイスラエル側はかなり異例の措置を取った。外交ルートを通じてシリア側へ、この作戦の全てがイスラエル単独の仕業であり、大佐は一切無関係であることを通知したのだ。こうしてマルダム大佐の刑執行は免除された。