歴史物語

1692年2月13日、グレンコーで何が起きたのか?――スコットランド史に残る悲劇「グレンコーの虐殺」

1692年2月13日、スコットランド高地のグレンコー渓谷において、「グレンコーの虐殺(Massacre of Glencoe)」と呼ばれる悲劇的な事件が発生しました。これは、グレンリヨンのロバート・キャンベル(Robert Campbell of Glenlyon)が率いる政府軍によって、マクドナルド氏族(MacDonald clan)に対して行われた襲撃事件です。

虐殺の背景

この攻撃を命じたのは、スコットランド担当国務大臣ジョン・ダライムプル(John Dalrymple、初代ステア伯爵)でした。1689年に勃発したジャコバイト蜂起(Jacobite uprising)の後、マクドナルド氏族が国王ウィリアム3世(King William III)の権威への忠誠宣誓を期限内に行わなかったことへの報復として、この命令が下されたとされています。

当時、ウィリアム3世は名誉革命によってイングランドとスコットランドの王位に就いたばかりであり、ジャコバイト派を支持するハイランドの氏族たちに対して忠誠を強制する政策を進めていました。マクドナルド氏族はぎりぎりまで宣誓を遅らせた末にようやく従ったものの、手続き上の不備を口実に、彼らへの容赦ない処分が決定されてしまったのです。

事件の経緯と犠牲者

虐殺当日、キャンベル隊の兵士たちはそれまで約2週間にわたり、マクドナルド家の人々のもとで客としてもてなしを受けていました。しかし2月13日の早朝、彼らは突然その「客人」たちに刃を向けるという、当時のハイランド社会における最も重い掟である「客へのもてなしの義務」を裏切る行為に出たのです。

この襲撃により、38名を超えるマクドナルド氏族の構成員が命を落としました。多くは眠っている最中に殺害されました。さらに悲劇的なことに、雪深い冬の渓谷から逃れた生存者の多くも、寒さによる凍死や飢えによって亡くなり、犠牲者はさらに増えていきました。

歴史に残る影響

グレンコーの虐殺は、スコットランド史上最も暗い出来事の一つとして記憶されており、今日に至るまで数多くの歴史的議論と研究の対象となってきました。国家権力による冷酷な命令、そして信頼を裏切る形での襲撃という二重の非道さは、後世の人々に強い衝撃を与え続けています。

現在でもグレンコー渓谷には記念碑が建てられ、毎年2月13日には犠牲者を追悼する式典が行われています。美しい自然景観で知られるこの地が、かつて such 悲劇の舞台となったことを物語る、忘れてはならない歴史の一ページです。