法廷詰め計画(court-packing plan)とは、1937年にフランクリン・D・ルーズベルト大統領が提案した、アメリカ合衆国最高裁判所の判事を9人から最大15人まで増員するという計画です。この提案は、ニューディール政策の諸プログラムを次々と違憲として無効にした最高裁判所の判決に対抗するものであり、ルーズベルトはこれらの政策こそが世界恐慌への対応に不可欠だと考えていました。
背景:最高裁判所とニューディール政策の対立
世界恐慌の初期、チャールズ・エヴァンズ・ヒューズ首席判事率いる最高裁判所は、ニューディール政策の複数のプログラムを違憲であるとして無効化しました。主な判決には以下のようなものがあります。
- シェクター家禽会社対合衆国事件(1935年):各産業の公正競争規約を定めた全国産業復興法(NIRA)を無効としました。
- 合衆国対バトラー事件(1936年):農産物加工業者への課税で農家への補助金財源を賄う農業調整法(AAA)を無効としました。
- カーター対カーター石炭会社事件(1936年):石炭産業を規制する石炭保存法を無効としました。
ルーズベルトの提案内容
これらの判決を受け、ルーズベルト大統領は最高裁判所の拡張案を打ち出しました。彼は「裁判所が保守的になりすぎており、経済危機に対応するために連邦政府が必要な措置を講じることを妨げている」と主張しました。この計画が成立していれば、ルーズベルトは最大6人の追加判事を任命できることになり、裁判所内で確実な多数派を握って、自らの政策が支持されることを保障できたはずでした。
強い反対と計画の挫折
しかし、この提案は世論と議会の双方から強い反発を受けました。多くのアメリカ国民は、最高裁判所の独立性と権威が損なわれることを懸念しました。議会もこの法案を否決し、計画は最終的に挫折しました。
歴史的意義
法廷詰め計画は、行政部と司法部の権力均衡という重要な問題を提起した、アメリカ史上でも物議を醸した出来事でした。計画自体は失敗したものの、最高裁判所と大統領職の関係に長期的な影響を与え、ルーズベルトの人気低下の一因ともなりました。
興味深いことに、この計画の失敗後、最高裁判所は次第に穏健な立場へと転換し、ニューディール政策の諸プログラムを合憲と認めるようになりました。この変化は、ルーズベルトが任命した判事の影響に加え、当時の経済情勢や政治風土の変化によるものとしばしば説明されています。