歴史物語

セイラム魔女狩りの犠牲者は何人?処刑20人と獄中死の実態

セイラム魔女狩りで死亡したのは何人?

1692年から1693年にかけて、アメリカ・マサチューセッツ植民地のセイラムで起きた「セイラム魔女裁判(セイラム魔女狩り)」では、合計20人が処刑されました。この悲劇的な事件は、アメリカ史における最も暗い章の一つとして知られています。

事件全体では200人以上が魔術の疑いで告発されましたが、実際の犠牲者は処刑された20人だけにとどまりません。劣悪な牢獄環境の中で、少なくとも5人以上が獄中死したとされています。

処刑された20人の内訳

処刑された20人のうち、19人は絞首刑でした。残る1人であるジャイルズ・コーリー(Giles Corey)は、絞首刑ではなく、体の上に重い石を積まれていく「石責め」という方法によって死亡しました。彼は法廷での自白を最後まで拒み続け、その結果として命を落としたのです。

魔女狩りの始まり

1692年初頭、セイラム村の牧師サミュエル・パリスの娘ベティや、その従姉妹アビゲイルら少女たちが、原因不明の発作や奇行に見舞われたことが発端とされます。医師が「悪魔の仕業」と診断したことをきっかけに、魔術の容疑者探しが始まりました。

最初に告発されたのは、パリス家に仕えていたティテュバ(Tituba)、浮浪者の女性サラ・グッド、そしてサラ・オズバーンの3人です。その後、告発は近隣住民へと次々に拡大し、町全体が恐怖と疑心暗鬼に包まれていきました。

裁判の終結とその後

1692年10月、総督ウィリアム・フィップスが特別法廷を解散させ、翌1693年には根拠のない「幽霊的証拠」の採用が禁止されたことで、裁判は急速に収束へと向かいました。

しかし、誤審だったことはすぐには認められず、名誉回復には長い歳月がかかりました。1697年にはマサチューセッツ湾植民地議会が断食と贖罪の日を定め、1711年には生存者や遺族への賠償金支払いが承認されました。さらに1957年にはマサチューセッツ州が正式な謝罪決議を行っています。

まとめ

セイラム魔女狩りでは、200人以上が告発され、絞首刑19人と石責めによる死亡1人、合わせて20人が処刑されました。加えて5人以上が獄中で命を落としています。集団ヒステリーと偏見が生んだこの悲劇は、現代においても冤罪や差別の危険性を私たちに警告し続けているのです。