歴史物語

水晶の夜の終わりまでに何人のユダヤ人が強制収容所に送られたのか?

水晶の夜(クリスタルナハト、1938年11月9日〜10日)の終わりまでに、約3万人のユダヤ人男性がナチス政権によって逮捕され、強制収容所へ送られました。

水晶の夜とは何か

水晶の夜は、1938年11月9日の夜から10日にかけて、ドイツ全土とオーストリアで発生した大規模な反ユダヤ主義の暴動です。ナチス党員や暴徒がユダヤ人商店、シナゴーグ(ユダヤ教会堂)、住宅を次々と襲撃し、割れたガラスが街中に散らばったことから「水晶の夜」と呼ばれるようになりました。この暴動により少なくとも91人のユダヤ人が殺害され、数百のシナゴーグが焼き払われ、7,000以上の商店が破壊されました。

強制収容所への移送

暴動の最中およびその直後、ゲシュタポ(秘密国家警察)とSSは、主にユダヤ人男性約3万人を逮捕し、ダッハウ、ブーヘンヴァルト、ザクセンハウゼンの各強制収容所に移送しました。なお、これらの収容所は水晶の夜の時点ですでに存在しており、最初の強制収容所であるダッハウは、ナチス政権が成立した直後の1933年3月に開設されています。

逮捕された人々のその後

逮捕された男性の多くは、数週間から数か月以内に釈放されました。ただし、釈放の条件として、国外への即時移住を証明すること、あるいは自らの事業や財産を非ユダヤ人へ強制的に売却する「アーリア化」に応じることが求められるのが一般的でした。
水晶の夜は、ユダヤ人に対する迫害が組織的かつ国家的なものへと新たな段階に進んだ転換点であり、その後のホロコーストへとつながる重要な出来事となりました。