歴史物語

アンネ・フランクの母と姉、どちらが先に亡くなったのか?

第二次世界大戦末期、ナチス・ドイツの強制収容所で悲劇的な最期を遂げたアンネ・フランクの家族。「母エーディトと姉マルゴット、どちらが先に亡くなったのか」という疑問に対する答えと、それぞれの最期の詳しい経緯を解説します。

結論:最初に亡くなったのは母エーディト

アンネ・フランクの家族の中で、最初にこの世を去ったのは母エーディト・フランクです。彼女は1945年1月6日、ポーランドのアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で、飢餓と極度の衰弱のため息を引き取りました。45歳の誕生日を迎えるわずか10日前のことでした。

1944年10月末、アンネと姉マルゴットはベルゲン=ベルゼン強制収容所への移送対象となりましたが、エーディトは選ばれず、娘たちと別れてアウシュヴィッツに残されました。それが母娘にとって永遠の別れとなりました。

姉妹の最期――ベルゲン=ベルゼンでの悲劇

移送されたマルゴットとアンネは、ドイツ北部のベルゲン=ベルゼン強制収容所で劣悪な環境に置かれました。食料不足と不衛生な状態が重なり、収容所内ではシラミが媒介する細菌感染症「発疹チフス」が猛威を振るっていました。

姉妹は1945年2月から3月にかけて、相次いで発疹チフスにより亡くなったと考えられています。ただし、正確な死亡日は記録が残っておらず確定していません。従来は「マルゴットが先に倒れ、数日後にアンネが続いた」と語られてきましたが、2015年にアンネ・フランク・ハウスが実施した調査では、二人とも1945年2月中に亡くなった可能性が高いとされています。

姉マルゴットは19歳、アンネは15歳という若さでした。イギリス軍による収容所解放(1945年4月15日)まであとわずかというところで、姉妹は自由を知ることなく命を落としたのです。

生き残ったのは父オットーただ一人

隠れ家で暮らした8人の中で、ホロコーストを生き延びたのは父オットー・フランク唯一人でした。アウシュヴィッツで解放された後、妻と二人の娘の死を知ったオットーは、アンネが隠れ家時代に書き残した日記の出版を決意します。
こうして世界に伝えられた『アンネの日記』は、70以上の言語に翻訳され、3,000万部以上が読まれる、ホロコーストの記憶を後世に伝える最も重要な証言の一つとなっています。