歴史物語

チャールズ1世はなぜ「船舶税」を課したのか?イングランド内戦へとつながった王と議会の対立

船舶税とは何だったのか

1634年、イングランド国王チャールズ1世は、沿岸部の町や各州に対して「船舶税(シップマネー)」の賦課を命じました。その目的は、国家の海岸線を潜在的な敵から守るための軍艦の建造・維持費用を調達することにありました。

王の主張と国民の反発

チャールズ1世は、この賦課が国防に不可欠な合法的な措置であると主張しました。しかし多くのイングランド人にとって、議会の同意を得ない課税は違法な行為であり、強い反発の対象となりました。

慣習からの逸脱が招いた不満

背景には、チャールズ1世が1629年以降議会を召集せず「議会なき統治」を続けていたことがあります。もともと船舶税は、沿岸都市だけが海防のために負担する限定的なものでした。ところが王はこれを内陸の諸州にも拡大し、さらに一度きりではなく毎年課すよう変更しました。こうした慣習からの逸脱は、国民の不満を一層高める結果となりました。

ジョン・ハンプデンの抵抗

1637年には、バッキンガムシャーの郷紳ジョン・ハンプデンが船舶税の一部の支払いを拒否し、その裁判をめぐる論争が王政への批判を全国に広めました。裁判上は僅差で王側が勝利したものの、「議会の同意なき課税は正当か」という疑問は国民の間に深く根を下ろしました。

イングランド内戦への道

船舶税をめぐる対立は、王と議会の関係を決定的に悪化させ、最終的にはイングランド内戦(1642年〜1651年)へとつながっていきました。「課税には議会の同意が必要である」という原則は、後の権利章典(1689年)にも明記され、近代立憲政治の礎となる重要な教訓となりました。