歴史物語

憲法制定会議後、ピアス・バトラーは何をしたのか?その後の政治経歴と晩年

1787年のフィラデルフィア憲法制定会議にサウスカロライナ州代表として参加したピアス・バトラー(Pierce Butler)は、会議終了後も政治の第一線で活躍を続けました。新憲法の批准後、彼は合衆国建国初期の政治体制づくりに深く関わっていくことになります。

初代上院議員としての活躍(1789年〜1796年)

1789年、新しい連邦政府が発足すると、バトラーはサウスカロライナ州から選出され、同州出身の初期の合衆国上院議員となりました。上院では当初、財務長官アレクサンダー・ハミルトンの財政計画を支持するなど連邦主義的な立場を取りましたが、後に民主共和党寄りの姿勢へと移っていったとされています。

なお、バトラーは憲法制定会議において奴隷制関連の規定、特に「逃亡奴隷引渡し条項」の提案に関与したことでも知られており、上院在任中も南部の利益を代弁する立場を貫きました。

一時の政界離脱と復帰(1802年〜1804年)

1796年に上院議員を退いたバトラーは、しばらく公職から離れ、南部に所有するプランテーションの経営など私生活に専念しました。しかし1802年、サウスカロライナ州選出の上院議員の死去に伴う欠員補充として再び上院議員に任命され、1804年11月までその職を務めました。

晩年と死去

1804年の退任後、バトラーは本格的に政界を引退しました。晩年はプランテーションの運営に携わりながら、フィラデルフィアと南部を行き来して暮らしたといわれています。そして1822年2月15日、ペンシルベニア州フィラデルフィアで生涯を閉じました。

まとめ

ピアス・バトラーは憲法制定会議後、まず合衆国上院議員(1789〜1796年)として建国初期の国会運営に参画し、1802年には欠員補充で再び上院議員(〜1804年)を務めたのち政界を引退しました。憲法制定の父の一人でありながら、その後の経歴は意外と知られていませんが、合衆国建国期の歴史を理解するうえで重要な人物です。