歴史物語

メアリー・チューダー女王はなぜプロテスタントを火刑にしたのか?「血まみれメアリー」の真実

イングランド女王メアリー・チューダー(メアリー1世)がプロテスタントを火刑に処した最大の理由は、彼女が敬虔なカトリック信徒であり、「異端は死に値する罪」だと固く信じていたことにあります。父ヘンリー8世がローマ・カトリック教会から離脱して以来、揺れ続けていたイングランドの宗教問題において、メアリーはカトリック信仰の復活こそが自らの使命であると確信していました。

宗教改革を「脅威」とみなした女王

メアリーにとって、プロテスタントによる宗教改革は単なる教義上の対立ではなく、王権とカトリック信仰そのものに対する重大な脅威でした。そこで彼女は国家の権力を動員し、プロテスタントの抑圧に乗り出します。火刑という過酷な手段を用いたのは、信仰の統一を回復することが王国の安定につながると信じていたからです。

「血まみれメアリー」と呼ばれた1555年〜1558年

メアリーの弾圧が特に激しかったのは、在位後期の1555年から1558年にかけての時期です。この間に300人以上のプロテスタントが火刑に処され、その中にはヒュー・ラティマーやニコラス・リドレー、そして元カンタベリー大主教トマス・クランマーといった著名な宗教指導者も含まれていました。こうした苛烈な弾圧の結果、彼女は歴史に「ブラッディ・メアリー(血まみれメアリー)」という不名誉な名で刻まれることとなったのです。

弾圧は目的を達成できず

しかし、メアリーの宗教弾圧は最終的に失敗に終わりました。火刑による恐怖政治はかえって多くの殉教者を生み、民衆の間にプロテスタントへの同情を広げる結果となったのです。メアリーの死後、妹エリザベス1世のもとでイングランド国教会が再建され、プロテスタントはさらに勢力を拡大し、やがてイングランドの主流の宗教として定着していきました。強権によって信仰を統一しようとした試みは、皮肉にも逆効果に終わったといえるでしょう。