北米史最大の謎「失われた植民地」とは
ロアノーク植民地は、通称「失われた植民地(ロスト・コロニー)」として知られ、アメリカ史上最も有名で謎めいた事件の一つです。
1587年、男性・女性・子供合わせて115人からなるイギリス人入植者のグループが、現在のノースカロライナ州にあるロアノーク島に到着しました。彼らの目的は、北アメリカにおける最初の恒久的なイギリス植民地を築くことでした。
順調に見えた開拓の始まり
入植者たちは総督ジョン・ホワイトに率いられ、当初は現地のネイティブ・アメリカンの部族と友好的な関係を築いていました。しかし間もなく緊張が高まり、先住民との紛争、厳しい気候、食料不足、そして指導力の欠如など、さまざまな困難に直面することになります。
状況を打開するため、ホワイト総督は物資や支援を求めてイギリスへ帰国しました。ところが、イングランドではスペインとの戦争(アルマダの海戦)が勃発し、彼がロアノーク島へ戻れるのは3年後のこととなります。
1590年、そこにあったのは「CROATOAN」の文字だけ
1590年8月、ようやくロアノーク島へ戻ったホワイト総督が目にしたのは、もぬけの殻となった植民地でした。家屋は解体され、115人の入植者の姿はどこにもありませんでした。
唯一残されていた手がかりは、要塞の柱に刻まれた「CROATOAN(クロアトアン)」という文字でした。このことから、入植者たちはロアノーク島の南に位置するクロアトアン島(現在のハッテラス島)へ移住したのではないかと考えられています。また、略奪や襲撃を意味するマルタ十字の刻印がなかったことも、計画的な移動を示唆しています。
入植者の行方をめぐる5つの主要な説
1. ネイティブ・アメリカンによる襲撃説
敵対的な部族、特にクロアトアン族やハッテラス族によって攻撃され、殺害されたのではないかという説です。入植者と先住民の間に対立があったことは記録から確認できますが、この説を裏付ける決定的な証拠は見つかっていません。
2. 病気・疫病説
当時は疫病が蔓延していた時代であり、ヨーロッパ人が持ち込んだ病原菌や先住民から感染した病気によって、入植者が全滅した可能性も指摘されています。しかし、この仮説を支持する実質的な証拠は存在しません。
3. 飢餓説
綿密でない計画、悪天候、先住民との紛争により食料不足に陥り、飢えや栄養失調で命を落としたという説です。ただし、考古学的な発掘調査では食料貯蔵の痕跡が発見されており、飢餓だけが消滅の原因だったとは考えにくい状況です。
4. 現地部族への同化説
入植者が周辺のネイティブ・アメリカンの部族に受け入れられ、通婚や文化的同化を通じてその社会に溶け込んだという説です。確たる遺体や遺物が見つからない理由をうまく説明できる一方、系譜学的な証拠は限られています。近年ではDNA鑑定による検証も試みられています。
5. イギリス帰国説
過酷な環境と支援の不足を理由に、一部の歴史学者は入植者がイギリスへ戻った可能性を唱えています。しかしそのような航海の記録は一切なく、植民地全体が痕跡を残さず放棄したとは考えにくいのが実情です。
今も解けない謎として
400年以上にわたる徹底的な調査にもかかわらず、ロアノーク入植者の正確な運命は依然として謎のままです。考古学調査、歴史資料、そして先住民に伝わる口承伝承が少しずつ光を当てていますが、答えの見えていない問いは数多く残されています。
だからこそロアノーク植民地の謎は、時代を超えて人々の想像力をかき立て続ける、アメリカ史における最も魅力的なミステリーの一つであり続けているのです。