歴史物語

ルールを守った海賊たちはどうなったのか?歴史が語る彼らの意外な末路

海賊というと、法律も道徳も無視して略奪や殺人を繰り返す無法者というイメージが強いものです。実際、海賊の定義そのものが「ルールを守らない者」であり、強盗・殺人・誘拐といった犯罪行為を生業とする存在でした。
では、「ルールを守ろうとした海賊」は歴史上いなかったのでしょうか。実は、そうとも言い切れないのです。

海賊たちが独自に作った「海賊法典」

17〜18世紀のカリブ海を中心に、多くの海賊船では出航前に「海賊法典(アーティクルズ)」と呼ばれる取り決めが交わされていました。内容は戦利品の分配比率、負傷時の補償金、船上での飲酒制限や就寝時間など、驚くほど具体的で民主的なものでした。船長の権限は戦闘時に限定され、日常の重要な意思決定は乗組員の投票で行われることも珍しくありませんでした。

このように海賊は「無法者」でありながら、船内という小さな社会を維持するために自らルールを作り、それを遵守していたのです。

国家公認の「海賊」――私掠船の存在

また、時代によっては国家が発行する「私掠免許(拿捕許可証)」を持つ私掠船員も存在しました。彼らは敵国の商船を攻撃することを公式に認められ、戦時中は事実上の海上民兵として活躍しました。有名な例では、イギリスの私掠船長フランシス・ドレークは、女王エリザベス1世からナイト爵位を授けられています。

つまり「国家のルールに従う海賊」は、私掠船員として正当な栄光と富を手にすることができたのです。ただしこれは戦時限定の話であり、平和が訪れると私掠船員は職を失い、再び海賊に戻る者が後を絶ちませんでした。

恩赦を受けて足を洗った海賊たち

もう一つの「ルール」は、政府による恩赦(大赦)です。1718年、バハマ諸島の総督に就任したウッズ・ロジャーズは、期限内に降伏すれば罪に問わないという恩赦を布告しました。これに応じた数百人の海賊は足を洗い、農夫や漁師、あるいは私掠船員として平掠船員として平穏な生活へと戻っていきました。

一方、恩赦を拒否して海賊業を続けた「黒髭」ことエドワード・ティーチや、悪名高いチャールズ・ヴェインらは、海軍との戦闘や絞首刑という凄惨な最期を迎えています。

結論――ルールを守った者は、もはや海賊ではなかった

こうして見ると答えはシンプルです。「ルールを守り続けた海賊」は、私掠船員になるか、恩赦によって市民生活に復帰するかのどちらかであり、その瞬間から彼らは法的な意味での「海賊」ではなくなっていたのです。

海賊という生き方は、自由の象徴としてロマン視される一方、その実態は過酷で短命なものでした。ルールを捨てた者は絞首台に消え、ルールを受け入れた者だけが新しい人生を手に入れられた――歴史は、そんな対照的な結末を私たちに教えてくれるのです。