ボストン虐殺事件(1770年3月5日)が起こったとき、ベンジャミン・フランクリンはボストンにはいませんでした。当時の彼はイギリス・ロンドンに滞在しており、マサチューセッツ植民地の代表(駐英代理人)として、イギリス政府との交渉役を務めていました。
ロンドンで果たしていたフランクリンの役割
フランクリンは1760年代から、ペンシルベニア、ジョージア、ニュージャージー、そしてマサチューセッツなど、複数の植民地の代理人としてロンドンに駐在していました。これは、植民地側の利害を本国政府に訴え、税制や統治政策をめぐる調整を行うという、極めて重要な外交上のポジションでした。ボストン虐殺の時点で彼が東海岸ではなくロンドンにいたのは、決して不自然なことではなかったのです。
ボストン虐殺事件とはどんな出来事か
1770年3月5日、ボストンの税関前で駐留イギリス兵と現地の市民が衝突し、兵士たちが発砲して市民5人が死亡しました。この悲劇は「ボストン虐殺」と呼ばれ、パウル・リビアによる版画が広く流布したこともあり、植民地の人々の反英感情を一気に高め、やがてアメリカ独立戦争へとつながる重要な転換点となりました。
事件に直接いなかったフランクリンと独立への道
現場には居合わせませんでしたが、フランクリンはロンドンから植民地の状況を注視し続け、本国との対立が深まるなかで植民地側の立場を擁護する活動を展開していました。彼の不在はむしろ、当時の彼が植民地全体の「外交の窓口」を担う存在だったことを物語っています。その後、情勢が悪化するなかでフランクリン自身も次第に独立派へと傾き、アメリカ合衆国建国の父の一人として歴史に名を刻むことになります。